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遠羅天釜 / 『遠羅天釜』百姓の子と自暴自棄の人

末法澆季の喩にや近代惡き風俗起りて出家も在家も見習ひ聞習ひになりて今時妙法の佛心などを見んと計るは鰻が木にのぼらんとする心地なるぞさて聞ふと一生を過行事淺ましき心ばへならずや是は左ながら過分の田地を譲れたりし百姓の子共數多在べきに其內一人輭弱不肖にて然も口利て小黠しけなるが曰く今時吾々風情の柔者共が先祖昔の人々の眞似美して農業耕作などして大勢の妻子眷鷹など養育せんと計るは及びもなき事なりそれは左ながら家鵝が鷹の眞似して鶴と組で落んと羽つくろいするが如く跛鼈の鯉魚の眞似して瀧上りせんとて頭さし伸るに似たる事ぞ片腹こそ痛けれ左しもて行たらんには必ず鎌にて水をなん呑べきぞ存じもよらぬ事なるぞとよつもりても見よや和殿原や我等如きの疲孩子者どもが芝野を見るが如くなる草生茂りたる田地を草刈切立耕し水載鉏上種子かし早苗し植つけ転り刈干こぎあけ糠すり繩ない菰あみあげ高あぐらして詠め見んずる事あだや通途にて遂らるべき事かはそれは昔物語なるぞあらぬ樣なる端立なるぞや夫よりは安々と拔入袖して世涉るすべはある事ぞやかなたこなたあるきても五日三日宛の日は送らるゝぞかし肩有て着ずと云ふ事なく口有て食ずと云ふ事なしと聞ものを殊更何某の國何某の矦は仁德厚をはして我々如き者をば扶持し給ふと聞なるに果はそこへなん行べきぞ斯許よき事のあるになに歎く事の有べき手足をなん動かして自力にて口過んとかゝるは又なき癖事なるぞ心ばからいなしそ初より下手に組がよきぞ働だてなしそかせぎ振見するな一二枚ある古着も脫すて菰をなん被りて我々は告る方もなく居ど立どに迷ひたる貧窮下賤の者に侍り哀れ助け給ひてよと打泣〱往たらんに慈悲深き世の中なるものをなど口一つばかりすぎ兼る事のあるべき少しも疑ふ心なくて兎せよ角せよと敎へられて悅び勇て誰々も兼てより斯なん思つる事よとて生れもつかぬ貧者に成て一生を送るに似たり此等の輩を自暴自棄の人と云臨濟大師は甘作下劣人と呵責せられたり是れは左ながら魚の水中にありながら我等風情にて水など見んと計るは及びもなき事なりと歎き鳥の長空を翔りながら今時長空などを見んと計るは存じもよらぬ望みなりと悲むに似たり殊にしらず十方法界の中眞如ならざる國土なく妙法ならざる衆生なき事を惜むべし唯心の妙法寂光淨土のまつたゞ中に住ながら生前には娑婆なりと偏執し衆生なりと妄想し死後には地獄なりと見錯り無間なりと泣悲む事皆是目前に充溢たる妙法の佛心前後に澄湛たる法性をば及もなき事なり存じもよらぬ望みなりとて打棄筋なき妄想情識の料簡を頼みて空く暮せるより起る事なり惜みても惜むべきは三界無比の妙法醍醐上味の經典なれども敎への如く修行する人なき故に文車に稠載たる世の並々の書籍と共にあり甲斐もなくやみ〱と朽果穢土淨刹と見違ひ三塗六趣と思ひ成事歎の中の歎ならずや

新字:末法澆季の喩にや近代悪き風俗起りて出家も在家も見習ひ聞習ひになりて今時妙法の仏心などを見んと計るは鰻が木にのぼらんとする心地なるぞさて聞ふと一生を過行事浅ましき心ばへならずや是は左ながら過分の田地を譲れたりし百姓の子共数多在べきに其内一人輭弱不肖にて然も口利て小黠しけなるが曰く今時吾々風情の柔者共が先祖昔の人々の真似美して農業耕作などして大勢の妻子眷鷹など養育せんと計るは及びもなき事なりそれは左ながら家鵝が鷹の真似して鶴と組で落んと羽つくろいするが如く跛鼈の鯉魚の真似して滝上りせんとて頭さし伸るに似たる事ぞ片腹こそ痛けれ左しもて行たらんには必ず鎌にて水をなん呑べきぞ存じもよらぬ事なるぞとよつもりても見よや和殿原や我等如きの疲孩子者どもが芝野を見るが如くなる草生茂りたる田地を草刈切立耕し水載鉏上種子かし早苗し植つけ転り刈干こぎあけ糠すり縄ない菰あみあげ高あぐらして詠め見んずる事あだや通途にて遂らるべき事かはそれは昔物語なるぞあらぬ様なる端立なるぞや夫よりは安々と抜入袖して世渉るすべはある事ぞやかなたこなたあるきても五日三日宛の日は送らるゝぞかし肩有て着ずと云ふ事なく口有て食ずと云ふ事なしと聞ものを殊更何某の国何某の矦は仁徳厚をはして我々如き者をば扶持し給ふと聞なるに果はそこへなん行べきぞ斯許よき事のあるになに嘆く事の有べき手足をなん動かして自力にて口過んとかゝるは又なき癖事なるぞ心ばからいなしそ初より下手に組がよきぞ働だてなしそかせぎ振見するな一二枚ある古着も脱すて菰をなん被りて我々は告る方もなく居ど立どに迷ひたる貧窮下賤の者に侍り哀れ助け給ひてよと打泣〱往たらんに慈悲深き世の中なるものをなど口一つばかりすぎ兼る事のあるべき少しも疑ふ心なくて兎せよ角せよと教へられて悦び勇て誰々も兼てより斯なん思つる事よとて生れもつかぬ貧者に成て一生を送るに似たり此等の輩を自暴自棄の人と云臨済大師は甘作下劣人と呵責せられたり是れは左ながら魚の水中にありながら我等風情にて水など見んと計るは及びもなき事なりと嘆き鳥の長空を翔りながら今時長空などを見んと計るは存じもよらぬ望みなりと悲むに似たり殊にしらず十方法界の中真如ならざる国土なく妙法ならざる衆生なき事を惜むべし唯心の妙法寂光浄土のまつたゞ中に住ながら生前には娑婆なりと偏執し衆生なりと妄想し死後には地獄なりと見錯り無間なりと泣悲む事皆是目前に充溢たる妙法の仏心前後に澄湛たる法性をば及もなき事なり存じもよらぬ望みなりとて打棄筋なき妄想情識の料簡を頼みて空く暮せるより起る事なり惜みても惜むべきは三界無比の妙法醍醐上味の経典なれども教への如く修行する人なき故に文車に稠載たる世の並々の書籍と共にあり甲斐もなくやみ〱と朽果穢土浄刹と見違ひ三塗六趣と思ひ成事嘆の中の嘆ならずや

書き下し

末法澆季の喩にや近代惡き風俗起りて出家も在家も見習ひ聞習ひになりて今時妙法の佛心などを見んと計るは鰻が木にのぼらんとする心地なるぞさて聞ふと一生を過行事淺ましき心ばへならずや是は左ながら過分の田地を譲れたりし百姓の子共數多在べきに其內一人輭弱不肖にて然も口利て小黠しけなるが曰く今時吾々風情の柔者共が先祖昔の人々の眞似美して農業耕作などして大勢の妻子眷鷹など養育せんと計るは及びもなき事なりそれは左ながら家鵝が鷹の眞似して鶴と組で落んと羽つくろいするが如く跛鼈の鯉魚の眞似して瀧上りせんとて頭さし伸るに似たる事ぞ片腹こそ痛けれ左しもて行たらんには必ず鎌にて水をなん呑べきぞ存じもよらぬ事なるぞとよつもりても見よや和殿原や我等如きの疲孩子者どもが芝野を見るが如くなる草生茂りたる田地を草刈切立耕し水載鉏上種子かし早苗し植つけ転り刈干こぎあけ糠すり繩ない菰あみあげ高あぐらして詠め見んずる事あだや通途にて遂らるべき事かはそれは昔物語なるぞあらぬ樣なる端立なるぞや夫よりは安々と拔入袖して世涉るすべはある事ぞやかなたこなたあるきても五日三日宛の日は送らるゝぞかし肩有て着ずと云ふ事なく口有て食ずと云ふ事なしと聞ものを殊更何某の國何某の矦は仁德厚をはして我々如き者をば扶持し給ふと聞なるに果はそこへなん行べきぞ斯許よき事のあるになに歎く事の有べき手足をなん動かして自力にて口過んとかゝるは又なき癖事なるぞ心ばからいなしそ初より下手に組がよきぞ働だてなしそかせぎ振見するな一二枚ある古着も脫すて菰をなん被りて我々は告る方もなく居ど立どに迷ひたる貧窮下賤の者に侍り哀れ助け給ひてよと打泣〱往たらんに慈悲深き世の中なるものをなど口一つばかりすぎ兼る事のあるべき少しも疑ふ心なくて兎せよ角せよと敎へられて悅び勇て誰々も兼てより斯なん思つる事よとて生れもつかぬ貧者に成て一生を送るに似たり此等の輩を自暴自棄の人と云臨濟大師は甘作下劣人と呵責せられたり是れは左ながら魚の水中にありながら我等風情にて水など見んと計るは及びもなき事なりと歎き鳥の長空を翔りながら今時長空などを見んと計るは存じもよらぬ望みなりと悲むに似たり殊にしらず十方法界の中眞如ならざる國土なく妙法ならざる衆生なき事を惜むべし唯心の妙法寂光淨土のまつたゞ中に住ながら生前には娑婆なりと偏執し衆生なりと妄想し死後には地獄なりと見錯り無間なりと泣悲む事皆是目前に充溢たる妙法の佛心前後に澄湛たる法性をば及もなき事なり存じもよらぬ望みなりとて打棄筋なき妄想情識の料簡を頼みて空く暮せるより起る事なり惜みても惜むべきは三界無比の妙法醍醐上味の經典なれども敎への如く修行する人なき故に文車に稠載たる世の並々の書籍と共にあり甲斐もなくやみ〱と朽果穢土淨刹と見違ひ三塗六趣と思ひ成事歎の中の歎ならずや

現代語訳

末法澆季の喩えであろうか、近ごろは悪い風俗が起こって、出家も在家も見習い聞き習いばかりになり、今時、妙法の仏心などを見ようとするのは、鰻が木に登ろうとするようなものだ、などと聞いて一生を過ごすのは、浅ましい心根ではないか。これは、たとえるなら、過分の田地を譲り受けた百姓の子供が大勢いたとして、その中の一人が、軟弱不肖で、しかも口達者で小賢しげに、こう言うようなものである。「今時の我々風情の弱い者が、先祖や昔の人々の真似をして農業耕作などをし、大勢の妻子や眷属を養おうとするのは、及びもつかないことだ。それは、家鵝(あひる)が鷹の真似をして鶴と組み合って落とそうと羽づくろいをするようなもの、足の悪い鼈(すっぽん)が鯉の真似をして滝登りをしようと首を差し伸べるようなもので、片腹痛いことだ。そんなことをすれば、必ず鎌で水を飲むようなことになる。思いもよらぬことだ。よく考えてもみよ、おまえたち。我らのような疲れ弱った者どもが、芝野を見るように草の生い茂った田地を、草を刈り、切り立て、耕し、水を張り、鋤を上げ、種を蒔き、早苗を植え付け、刈り干し、こぎ上げ、糠をすり、縄をない、菰を編み上げ、高あぐらをかいて眺めようなどということが、どうして並大抵のことで成し遂げられようか。それは昔物語だ。あり得ないことで、場違いなことだ。それよりは、安楽に懐手をして世を渡る手立てがあるではないか。あちこち歩いても、五日三日ずつの日は送れるものだ。肩があって着ないということはなく、口があって食べないということはないと聞くものを。ことに、何某の国の何某の侯は、仁徳が厚く、我々のような者をも扶持してくださると聞くので、結局はそこへ行くのがよい。これほどよいことがあるのに、何を歎くことがあろうか。手足を動かして自力で口に糊しようとするのは、またとない妙な癖事だ。心ばかり働かせるな、初めから下手に出るのがよい。働き顔をするな、稼ぎぶりを見せるな。一枚二枚ある古着も脱ぎ捨て、菰を被って、我々は訴える先もなく、居ても立っても迷っている貧窮下賤の者でございます、どうか哀れんで助けてくださいと、泣き泣き行ったなら、慈悲深い世の中であるから、どうして口一つぐらい養い兼ねることがあろうか。」少しも疑う心なく、あれこれと教えられて喜び勇み、誰々も以前からこう思っていたことよと言って、生まれつきでもない貧者になって一生を送るのに似ている。このような輩を自暴自棄の人といい、臨済大師は、甘んじて下劣な人となる者と叱責された。これはまた、魚が水の中にありながら、我ら風情で水などを見ようとするのは及びもつかないことだと歎き、鳥が長空を翔りながら、今時、長空などを見ようとするのは思いもよらぬ望みだと悲しむのに似ている。ことに、知らないのか、十方法界の中に真如でない国土はなく、妙法でない衆生はいないことを。惜しむべきである。唯心の妙法、寂光浄土のまっただ中に住みながら、生きている間は娑婆だと偏執し、衆生だと妄想し、死後には地獄だと見誤り、無間だと泣き悲しむこと、これはみな、目の前に満ちあふれる妙法の仏心、前後に澄み湛える法性を、及びもつかない、思いもよらぬ望みだと打ち捨て、筋の通らない妄想情識の料簡を頼みにして、むなしく暮らしていることから起こるのである。惜しんでも惜しみきれないのは、三界無比の妙法、醍醐上味の経典であるのに、教えのとおり修行する人がないために、文車に積み重ねた世の並々の書籍と共に、あるかいもなくぼんやりと朽ち果て、穢土と浄土を見違え、三塗六趣と思い込んでしまうことで、歎きの中の歎きではないか。

解説

末世だから自分には無理だと諦める人を、田地を譲られた百姓の子が働かずに乞食同然になる話に喩えます。魚が水を見ようとするのは無理だと嘆くようなもの、と続くのが白隠らしい皮肉です。妙法の仏心はすでに目の前にあり、無理だと決め込む思い込みが自分を貧しくしていると言います。臨済が下劣な人に甘んじる者を叱責したことにも触れます。現代の職場でも、自分には向いていない、時代が違うと先に限界を決めてしまうと、持っている力を使わないまま終わります。
『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。

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この章句が説くこと

自暴自棄末世百姓の喩え臨済寂光浄土妄想情識

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