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遠羅天釜 / 『遠羅天釜』火中の蓮と六塵の禅定

然るに山林野外に在て一食卯齋し六時行道する人さへ道業純一になる事能はず況や夫婦昆弟の間に交り塵務紛然たる巷をや若それ見性の眼なくんば毫釐も相應する事能はじ是故に達磨大師云く若欲覓佛須是見性と若し又た忽ち諸法實相唯有一乘の知見を開かば六塵即ち禪定五欲即ち一乘なるが故に語默動靜常に禪定中なるべし若果して然らば彼山林に在て禪を行ずる底と得力零壤の間を隔てん火裏の蓮とは世間希有の行者なりと稱歎し玉ふにし非ず永嘉は天台の三諦即一の堂奧に達し止觀の修行は精しく鍛鍊し玉ひたれば傳中にも四威儀に常に禪觀に冥ずと稱歎したる程なれば片言隻字といへども中々容易の事にし非ず四威儀に常に禪觀に冥ずとは四儀即ち禪觀禪觀即ち四儀なるに冥合したる境界を云へり彼菩薩は道場を起ずして諸の威儀を現ずと說たまひしと同一模範なりそれ蓮は水中にさける華なる故に火邊に近付時は立處に枯れ凋む事なり然れば火氣は蓮には上へもなき敵藥ならずや然るに火裏よりさき出たらん蓮は烈火に向ふ程いよ〱色香を增して麗はしかるべし彼五欲を避嫌つて最初より修行したらん人は縱ひ我法の二空に通じ見道如何許り明らかなりとも靜中を離し動中に向ふ時は蜆蝦の水を失へるに等しく獮猴の林樹を離れたるに似て半點の氣力無して左ながら水中の蓮の火氣に逢て忽ち凋枯するが如けん若し又平生六塵の上へに於て猛く精彩を著け純一無雜打成一片にして毫釐も錯らず彼何百兩の黃金を亂世の時贈り屆けし人の如く猛く甲斐〱しき氣象を押立て片時も間斷なく勵に進みたらんには忽ち自心の源底を掀翻し生死の命根を蹈斷して虛空消殞し鐵山摧る底の大歡喜あらん彼火裏よりさき出たる蓮華の火氣に逢てうたゝ色香を增が如けん何が故ぞ火氣即ち蓮華蓮華即ち火氣なる故に

新字:然るに山林野外に在て一食卯斎し六時行道する人さへ道業純一になる事能はず況や夫婦昆弟の間に交り塵務紛然たる巷をや若それ見性の眼なくんば毫釐も相応する事能はじ是故に達磨大師云く若欲覓仏須是見性と若し又た忽ち諸法実相唯有一乗の知見を開かば六塵即ち禅定五欲即ち一乗なるが故に語黙動静常に禅定中なるべし若果して然らば彼山林に在て禅を行ずる底と得力零壤の間を隔てん火裏の蓮とは世間希有の行者なりと称嘆し玉ふにし非ず永嘉は天台の三諦即一の堂奥に達し止観の修行は精しく鍛錬し玉ひたれば伝中にも四威儀に常に禅観に冥ずと称嘆したる程なれば片言隻字といへども中々容易の事にし非ず四威儀に常に禅観に冥ずとは四儀即ち禅観禅観即ち四儀なるに冥合したる境界を云へり彼菩薩は道場を起ずして諸の威儀を現ずと説たまひしと同一模範なりそれ蓮は水中にさける華なる故に火辺に近付時は立処に枯れ凋む事なり然れば火気は蓮には上へもなき敵薬ならずや然るに火裏よりさき出たらん蓮は烈火に向ふ程いよ〱色香を增して麗はしかるべし彼五欲を避嫌つて最初より修行したらん人は縦ひ我法の二空に通じ見道如何許り明らかなりとも静中を離し動中に向ふ時は蜆蝦の水を失へるに等しく獮猴の林樹を離れたるに似て半点の気力無して左ながら水中の蓮の火気に逢て忽ち凋枯するが如けん若し又平生六塵の上へに於て猛く精彩を著け純一無雑打成一片にして毫釐も錯らず彼何百両の黄金を乱世の時贈り届けし人の如く猛く甲斐〱しき気象を押立て片時も間断なく励に進みたらんには忽ち自心の源底を掀翻し生死の命根を蹈断して虚空消殞し鉄山摧る底の大歓喜あらん彼火裏よりさき出たる蓮華の火気に逢てうたゝ色香を增が如けん何が故ぞ火気即ち蓮華蓮華即ち火気なる故に

書き下し

然るに山林野外に在て一食卯齋し六時行道する人さへ道業純一になる事能はず況や夫婦昆弟の間に交り塵務紛然たる巷をや若それ見性の眼なくんば毫釐も相應する事能はじ是故に達磨大師云く若欲覓佛須是見性と若し又た忽ち諸法實相唯有一乘の知見を開かば六塵即ち禪定五欲即ち一乘なるが故に語默動靜常に禪定中なるべし若果して然らば彼山林に在て禪を行ずる底と得力零壤の間を隔てん火裏の蓮とは世間希有の行者なりと稱歎し玉ふにし非ず永嘉は天台の三諦即一の堂奧に達し止觀の修行は精しく鍛鍊し玉ひたれば傳中にも四威儀に常に禪觀に冥ずと稱歎したる程なれば片言隻字といへども中々容易の事にし非ず四威儀に常に禪觀に冥ずとは四儀即ち禪觀禪觀即ち四儀なるに冥合したる境界を云へり彼菩薩は道場を起ずして諸の威儀を現ずと說たまひしと同一模範なりそれ蓮は水中にさける華なる故に火邊に近付時は立處に枯れ凋む事なり然れば火氣は蓮には上へもなき敵藥ならずや然るに火裏よりさき出たらん蓮は烈火に向ふ程いよ〱色香を增して麗はしかるべし彼五欲を避嫌つて最初より修行したらん人は縱ひ我法の二空に通じ見道如何許り明らかなりとも靜中を離し動中に向ふ時は蜆蝦の水を失へるに等しく獮猴の林樹を離れたるに似て半點の氣力無して左ながら水中の蓮の火氣に逢て忽ち凋枯するが如けん若し又平生六塵の上へに於て猛く精彩を著け純一無雜打成一片にして毫釐も錯らず彼何百兩の黃金を亂世の時贈り屆けし人の如く猛く甲斐〱しき氣象を押立て片時も間斷なく勵に進みたらんには忽ち自心の源底を掀翻し生死の命根を蹈斷して虛空消殞し鐵山摧る底の大歡喜あらん彼火裏よりさき出たる蓮華の火氣に逢てうたゝ色香を增が如けん何が故ぞ火氣即ち蓮華蓮華即ち火氣なる故に

現代語訳

ところが、山林や野外にいて一日一食、昼にのみ食事し、六時に行道する人でさえ、道業を純一にすることができない。ましてや夫婦や兄弟のあいだに交わり、俗務が入り乱れる巷ではなおさらである。もし見性の眼がなければ、わずかも相応することはできない。このゆえに達磨大師は、「もし仏を求めようとするなら、見性しなければならない」と言った。もし忽ち、諸法の実相はただ一乗であるという知見が開ければ、六塵がそのまま禅定、五欲がそのまま一乗であるから、語り黙り動き静まる間も、常に禅定の中にあることになる。もしそうであれば、あの山林にあって禅を行ずる者とは、得力において天地ほどの隔たりがあろう。火中の蓮とは、世間にまれな行者であると称賛されたというだけの、軽いことではない。永嘉は天台の三諦即一の奥義に達し、止観の修行を細かく鍛錬されたので、『伝』の中にも、四威儀に常に禅観に冥合すると称えられたほどであるから、片言隻句といえどもなかなか容易なことではない。四威儀に常に禅観に冥ずるとは、行住坐臥がそのまま禅観、禅観がそのまま行住坐臥であることに冥合した境界をいう。かの菩薩は道場を起たずして諸の威儀を現ずと説かれたのと同じ手本である。そもそも蓮は水中に咲く花であるから、火のそばに近づけばたちまち枯れしぼむ。そうであれば、火気は蓮にとってこの上ない敵薬ではないか。ところが火の中から咲き出た蓮は、烈火に向かうほどいよいよ色香を増して美しいであろう。あの五欲を避け嫌って最初から修行した人は、たとえ我法の二空に通じ、見道がいかに明らかであっても、静中を離れて動中に向かう時は、蜆や蝦が水を失ったのに等しく、猿が林の木を離れたのに似て、半点の気力もなく、あたかも水中の蓮が火気に遭ってたちまち枯れしぼむようであろう。もしまた、平生六塵の上で猛々しく精彩を着け、純一無雑に打成一片となって、わずかも誤らず、あの何百両の黄金を乱世に送り届けた人のように、猛々しく甲斐甲斐しい気象を押し立て、片時も絶えず励み進んだなら、たちまち自心の源底をひっくり返し、生死の命根を踏み切って、虚空が消え去り鉄山が砕けるほどの大歓喜があろう。あの火の中から咲き出た蓮華が火気に遭っていよいよ色香を増すようなものである。なぜか。火気がそのまま蓮華、蓮華がそのまま火気だからである。

解説

山林で修行する人でさえ純一になれないのだから、家庭や俗務の巷では見性の眼が欠かせない、と白隠は説きます。永嘉の言う火中の蓮のたとえは、欲や雑事の中でこそ禅が色香を増すという意味です。最初から五欲を避けた人は動の場で枯れるが、六塵の上で工夫を積めば大きな転機が開けると言います。逆境や雑務をそのまま修行の場とみなす発想で、日々の仕事を鍛錬の場に変える視点を与えてくれます。
『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

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この章句が説くこと

見性の眼火中の蓮六塵即禅定四威儀動中打成一片

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