おもひで草 / 善惡混名・言い換えで実を偽る忌み言葉
僧を髮長といふは神威を惶みて異物を忌むわざなれば、其心しらひはめてたけれど其物實を僞る方は味氣なし、所勞を歡樂と書、殺禮を祭禮と記せるも惡しき事を忌む心ばへはよし、なほ其事を僞る罪は免れがたくや、梨を在實といひ蘆を葦といへるも同樣なる俗間の忌言なればふかく咎むべきわざにはあらねど、もし無き物を有りといひ、惡しき物を善しといはゞ人是を諾はんや、なほ惡人を善人といひ善人を惡人といはゞ人ます〱諾ふまじ、冠履倒置、邪正顚倒、などいへるとも此類の甚しきをいへるにや、さても其忌語よ眞に神威を畏むとならばたゞに其言はいはでもありなむを、名をかへていへるはなほ神を蔑する也、又言にいはずとも强て心に思はんも神を蔑する罪同じかるべし、おもへどもいむとていはぬとなれば其方にむきてねをのみぞなく、などいへる妄言はさくもうるさし、
新字:僧を髪長といふは神威を惶みて異物を忌むわざなれば、其心しらひはめてたけれど其物実を偽る方は味気なし、所労を歓楽と書、殺礼を祭礼と記せるも悪しき事を忌む心ばへはよし、なほ其事を偽る罪は免れがたくや、梨を在実といひ蘆を葦といへるも同様なる俗間の忌言なればふかく咎むべきわざにはあらねど、もし無き物を有りといひ、悪しき物を善しといはゞ人是を諾はんや、なほ悪人を善人といひ善人を悪人といはゞ人ます〱諾ふまじ、冠履倒置、邪正顛倒、などいへるとも此類の甚しきをいへるにや、さても其忌語よ真に神威を畏むとならばたゞに其言はいはでもありなむを、名をかへていへるはなほ神を蔑する也、又言にいはずとも強て心に思はんも神を蔑する罪同じかるべし、おもへどもいむとていはぬとなれば其方にむきてねをのみぞなく、などいへる妄言はさくもうるさし、
書き下し
僧を髮長といふは神威を惶みて異物を忌むわざなれば、其心しらひはめてたけれど其物實を僞る方は味氣なし、所勞を歡樂と書、殺禮を祭禮と記せるも惡しき事を忌む心ばへはよし、なほ其事を僞る罪は免れがたくや、梨を在實といひ蘆を葦といへるも同樣なる俗間の忌言なればふかく咎むべきわざにはあらねど、もし無き物を有りといひ、惡しき物を善しといはゞ人是を諾はんや、なほ惡人を善人といひ善人を惡人といはゞ人ます〱諾ふまじ、冠履倒置、邪正顚倒、などいへるとも此類の甚しきをいへるにや、さても其忌語よ眞に神威を畏むとならばたゞに其言はいはでもありなむを、名をかへていへるはなほ神を蔑する也、又言にいはずとも强て心に思はんも神を蔑する罪同じかるべし、おもへどもいむとていはぬとなれば其方にむきてねをのみぞなく、などいへる妄言はさくもうるさし、
現代語訳
僧を「髪長」というのは、神の威を畏れて異物を忌むことですから、その心遣いは立派ですが、その実を偽る点はおもしろくありません。「所労」を「歓楽」と書き、「殺礼」を「祭礼」と記すのも、悪いことを忌む心ばえはよいのですが、なおその事を偽る罪は免れがたいでしょう。梨を「有りの実」といい、蘆を「葦」というのも同様の世間の忌み言葉ですから、深くとがめるほどのことではありませんが、もし無いものを有ると言い、悪いものを良いと言うなら、人はこれを承知するでしょうか。さらに、悪人を善人と言い、善人を悪人と言うなら、人はますます承知しないでしょう。「冠履倒置」「邪正顛倒」などというのも、この類のひどいものを言うのでしょうか。それにしても、その忌み言葉が真に神威を畏れてのことなら、ただその言葉を言わないでいればよいのに、名を変えて言うのは、やはり神を軽んじることです。また言葉に出さなくても、強いて心に思うのも神を軽んじる罪は同じでしょう。「思えども忌むといって言わないのなら、その方に向いて泣くばかりだ」などという妄言は、ここに引くのもわずらわしいことです。
解説
この章句が説くこと
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