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おもひで草 / 內外無別・内外の別と弘道館の祭り方への疑問

神は皇國固有の神にて主也、儒は後世舶來し道にて伴也、かく主伴尊卑の差別明に別れたるを、例の碑文に敬神崇儒無有偏黨と記し在るは、尊內卑外の差別なきに似たり、同碑文に若西土唐虞三代之治敎資以讚皇猷と謂るは事もなし、又かの孔丘てふ男も、道知れる方よりもて崇ばれて終には文宣王など譽稱へられし人なれども、當昔は鄙事に多能なりし賤夫なり、さるを神世にても殊に御血統正しく武く雄々しき御稜威世に超させ給ひ、其勳功も容易からで、尊き極の建御雷神と、同じ弘道館の上座に併せ祭れるは、殊に尊內卑外の道を忘れ在るに似たり、又かの神國文武の道を學べとの給へる御制條にも違へるに似たり、

新字:神は皇国固有の神にて主也、儒は後世舶来し道にて伴也、かく主伴尊卑の差別明に別れたるを、例の碑文に敬神崇儒無有偏党と記し在るは、尊内卑外の差別なきに似たり、同碑文に若西土唐虞三代之治教資以讃皇猷と謂るは事もなし、又かの孔丘てふ男も、道知れる方よりもて崇ばれて終には文宣王など誉称へられし人なれども、当昔は鄙事に多能なりし賤夫なり、さるを神世にても殊に御血統正しく武く雄々しき御稜威世に超させ給ひ、其勲功も容易からで、尊き極の建御雷神と、同じ弘道館の上座に併せ祭れるは、殊に尊内卑外の道を忘れ在るに似たり、又かの神国文武の道を学べとの給へる御制条にも違へるに似たり、

書き下し

神は皇國固有の神にて主也、儒は後世舶來し道にて伴也、かく主伴尊卑の差別明に別れたるを、例の碑文に敬神崇儒無有偏黨と記し在るは、尊內卑外の差別なきに似たり、同碑文に若西土唐虞三代之治敎資以讚皇猷と謂るは事もなし、又かの孔丘てふ男も、道知れる方よりもて崇ばれて終には文宣王など譽稱へられし人なれども、當昔は鄙事に多能なりし賤夫なり、さるを神世にても殊に御血統正しく武く雄々しき御稜威世に超させ給ひ、其勳功も容易からで、尊き極の建御雷神と、同じ弘道館の上座に併せ祭れるは、殊に尊內卑外の道を忘れ在るに似たり、又かの神國文武の道を學べとの給へる御制條にも違へるに似たり、

現代語訳

神はわが皇国固有の神であって主です。儒は後の世に海を渡って来た道であって伴です。このように主と伴、尊と卑の差別がはっきり分かれているのに、例の碑文に「神を敬い儒を崇めて、偏りや党派はない」と記してあるのは、内を尊び外を卑しむ差別がないようにも見えます。同じ碑文に「もし西土の唐虞三代の治教は、これを資けとして皇猷を賛ける」というのは問題ありません。またあの孔丘という男も、道を知る方面から崇められ、ついには文宣王などと誉め称えられた人ですが、昔は卑しい事に多能であった身分の低い男です。それなのに、神代の中でもとりわけ御血統が正しく、武く雄々しい御稜威が世に超え、その勲功も並々ではなく、尊さの極みである建御雷神と、同じ弘道館の上座に並べて祭っているのは、とくに内を尊び外を卑しむ道を忘れているように見えます。またあの「神国の文武の道を学べ」とおっしゃった御制条にも違っているように見えます。

解説

水戸の弘道館が神と孔子を並べて祭ることに、主と伴の区別が曖昧だと疑問を呈する箇所です。国体論的で身分観も強い歴史的な主張であり、そのまま現代に当てはめることはできません。置き換えれば、組織の中で誰が主で誰が支えかという役割と優先順位を、曖昧にしないことの大切さです。理念と手法、本業と周辺施策などを並列にすると、判断の軸がぶれます。管理職は、自部署の中心にある目的と、それを助ける手段を区別して語れるようにしておくと、迷いが減ります。

この章句が説くこと

おもひで草伴林光平内外無別主と伴弘道館建御雷神

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