囲炉夜話 / 第百則・語言矯飾多ければ人品心術盡く疑ふべし
氣性不和平,則文章事功,俱無足取。 語言多矯飾,則人品心術,盡屬可疑。
新字:気性不和平,則文章事功,倶無足取。 語言多矯飾,則人品心術,尽属可疑。
書き下し
氣性和平ならざれば、則ち文章事功、倶に取るに足る無し。 語言矯飾多ければ、則ち人品心術、盡く疑ふべきに屬す。
現代語訳
気性が穏やかでなければ、その人の文章も業績も、どちらも取るに足りません。言葉に取り繕いや飾りが多ければ、その人の人柄も心の使い方も、すべて疑わしいものになります。
解説
気性と言葉づかいという身近なところから、その人の値打ちを測る則です。前半は、気性が荒く和やかさを欠く人は、どんなに文章がうまく業績があっても、評価に値しないと言い切ります。才能や成果は、それを支える人柄の上に立っていてはじめて意味を持つという考えです。後半は、言葉を飾りすぎる人は、その人品や心術、つまり心の働かせ方まで疑わしいと言います。前の句は内なる気性が外の成果をそこなうこと、後の句は外の言葉が内の心を映すことを述べ、内と外が互いに通じ合うことを示しています。今日でも、成果は出すが周りとぶつかる人や、話はうまいが中身が伴わない人は、結局は信頼を失いがちです。まず自分の気性と言葉を整えることが、仕事の土台になります。
この章句が説くこと
和平言葉人品修身誠実
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