酔古堂剣掃 / 集綺・肝膽の人に向ふ有るのみ
世路既如此,但有肝膽向人;清議可奈何,曾無口舌造業。
新字:世路既如此,但有肝胆向人;清議可奈何,曽無口舌造業。
書き下し
世路既に此くの如し、但だ肝膽の人に向ふ有るのみ。 清議奈何すべき、曾て口舌の業を造る無し。
現代語訳
世の中の道がすでにこのようなありさまである以上、ただ真心をもって人に向き合うほかはありません。世間の評判をどうすることができましょうか。私はこれまで、口先で罪業を作ったことはありません。
解説
思うようにならない世の中で、誠実さを貫く覚悟を述べた一則です。世路は世渡りの道、肝胆は肝臓と胆嚢で、転じて真心や本心を言います。世の中が険しく人の心が当てにならない以上、自分にできることは、ただ真心をさらけ出して人に向き合うことだけだと言います。後の句の清議は、世間の人物評や評判のことです。人が自分をどう評しても、それはどうにもならないが、自分は口先で人を傷つけたり偽ったりして業を作ったことはない、と胸を張ります。口舌の業は、仏教でいう口業、すなわち嘘や悪口などの言葉による罪です。評判は他人のもの、誠実さは自分のものです。自分が守れるものを守る生き方を教えてくれます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
誠実処世評判言葉修身
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