弘道館記述義 / 敬神崇儒・神を敬い儒を尊んで偏らない
敬神崇儒。無有偏黨。臣彪謹案。敬神上文所謂奉神州之道者。崇儒所謂資西土之敎者。世之奉神道者。談說鴻荒張皇幽眇。或有索隱行怪之弊。是偏於神也。其學儒敎者。大異邦小神州。動有顚倒本末之失。是黨於儒也。皆學者所宜戒。蓋其無有偏黨者。乃敬神崇儒之至。若夫不尊神皇。不信聖賢。孔子所謂焉能爲有焉能爲亡。孟軻所謂生斯世也爲斯世。以之爲無偏黨。則慢神侮儒之最大者。是亦不可不戒也。抑旣曰敬神。又曰崇儒。然則神之與儒固無有尊卑。敬唐虞三代之君。必如事我神祇。而後爲無偏黨乎。曰是徒泥於其文。而不本於其意也。神州自神州。西土自西土。彼指我爲外。我亦斥彼爲下。西土之敎尤嚴內外之分。我資而用之。亦不可不正上下之別。單就西土之敎而論之猶且然。况尊國體愼名分者。固皇朝所尤重耶。且夫所惡於浮屠者。非以其法一傳。遂尊西竺。奉其胡鬼乎。若崇儒敎遂仰其國。又推及歷代人物以與我神聖并奉。則是又生一浮屠也。豈可平哉。我公恒有言曰。讀西土之書者。宜以其所以尊堯舜。尊我神皇。以其所以事上帝。事我天祖。及建斯館。孔廟之制。議論紛紜。或謂宜設塑像。或謂宜配十哲及諸儒。公斷然唯祀先聖。而不及配享之議。又不用後世所奉之尊號。嘗齋戒盛服。親書牌子曰。孔子神位愼之至也。所謂無有偏黨者。意其在斯歟。
新字:敬神崇儒。無有偏党。臣彪謹案。敬神上文所謂奉神州之道者。崇儒所謂資西土之教者。世之奉神道者。談説鴻荒張皇幽眇。或有索隠行怪之弊。是偏於神也。其学儒教者。大異邦小神州。動有顛倒本末之失。是党於儒也。皆学者所宜戒。蓋其無有偏党者。乃敬神崇儒之至。若夫不尊神皇。不信聖賢。孔子所謂焉能為有焉能為亡。孟軻所謂生斯世也為斯世。以之為無偏党。則慢神侮儒之最大者。是亦不可不戒也。抑既曰敬神。又曰崇儒。然則神之与儒固無有尊卑。敬唐虞三代之君。必如事我神祇。而後為無偏党乎。曰是徒泥於其文。而不本於其意也。神州自神州。西土自西土。彼指我為外。我亦斥彼為下。西土之教尤厳内外之分。我資而用之。亦不可不正上下之別。単就西土之教而論之猶且然。況尊国体慎名分者。固皇朝所尤重耶。且夫所悪於浮屠者。非以其法一伝。遂尊西竺。奉其胡鬼乎。若崇儒教遂仰其国。又推及歴代人物以与我神聖并奉。則是又生一浮屠也。豈可平哉。我公恒有言曰。読西土之書者。宜以其所以尊堯舜。尊我神皇。以其所以事上帝。事我天祖。及建斯館。孔廟之制。議論紛紜。或謂宜設塑像。或謂宜配十哲及諸儒。公断然唯祀先聖。而不及配享之議。又不用後世所奉之尊号。嘗斎戒盛服。親書牌子曰。孔子神位慎之至也。所謂無有偏党者。意其在斯歟。
書き下し
敬神崇儒、偏党有ること無し。臣彪謹んで案ずるに、敬神とは上文の所謂神州の道を奉ずるなり。崇儒とは所謂西土の教へを資るなり。世の神道を奉ずる者は、鴻荒を談説し幽眇を張皇し、或いは隠れを索め怪を行ふの弊有り。是れ神に偏するなり。其の儒教を学ぶ者は、異邦を大にし神州を小にし、動もすれば本末を顚倒するの失有り。是れ儒に党するなり。皆学者の宜しく戒むべき所なり。蓋し其の偏党有ること無き者は、乃ち敬神崇儒の至りなり。若し夫れ神皇を尊ばず、聖賢を信ぜず、孔子の所謂「焉んぞ能く有りと為し、焉んぞ能く亡しと為さん」、孟軻の所謂「斯の世に生まれては斯の世の為にす」、之を以て偏党無しと為さば、則ち神を慢り儒を侮るの最も大なる者なり。是れ亦戒めざるべからざるなり。抑も既に神を敬ふと曰ひ、又儒を崇ぶと曰ふ。然らば則ち神と儒と固より尊卑有ること無きか。唐虞三代の君を敬ふこと必ず我が神祇に事ふるが如くして、而る後偏党無しと為すか。曰く、是れ徒に其の文に泥みて、其の意に本づかざるなり。神州は自ら神州、西土は自ら西土。彼は我を指して外と為し、我も亦彼を斥けて下と為す。西土の教へは尤も内外の分を厳にす。我之を資りて用ふるも、亦上下の別を正さざるべからず。単に西土の教へに就きて之を論ずるも猶ほ且つ然り。況んや国体を尊び名分を慎むは、固より皇朝の尤も重んずる所なるをや。且つ夫れ浮屠を悪む所以の者は、其の法一たび伝はりて、遂に西竺を尊び、其の胡鬼を奉ずるを以てに非ずや。若し儒教を崇びて遂に其の国を仰ぎ、又推して歴代の人物に及び以て我が神聖と并せ奉ぜば、則ち是れ又一つの浮屠を生ずるなり。豈に平らかなるべけんや。我が公恒に言有り、曰く、西土の書を読む者は、宜しく其の堯舜を尊ぶ所以を以て我が神皇を尊び、其の上帝に事ふる所以を以て我が天祖に事ふべしと。斯の館を建つるに及び、孔廟の制、議論紛紜たり。或いは謂ふ、宜しく塑像を設くべしと。或いは謂ふ、宜しく十哲及び諸儒を配すべしと。公断然として唯先聖を祀りて配享の議に及ばず。又後世奉ずる所の尊号を用ひず。嘗て斎戒盛服し、親ら牌子に書して曰く、孔子神位と。慎みの至りなり。所謂偏党有ること無き者は、意ふに其れ斯に在るか。
現代語訳
「神を敬い儒を崇め、偏りや党派を作らない」についてです。臣の彪が謹んで考えます。神を敬うとは、前の文でいう「神州の道を奉ずる」ことです。儒を崇めるとは、「西土の教えに学ぶ」ことです。世の神道を奉じる者は、太古のことを語り、奥深く微妙なことを大げさに言い立て、隠れたことを探り、怪しいことを行う弊害があります。これは神に偏ることです。儒教を学ぶ者は、外国を大きく見て日本を小さく見、ともすれば本末を転倒する過ちがあります。これは儒に党することです。どちらも学ぶ者が戒めるべきことです。偏りも党派もないということは、神を敬い儒を崇める最上の形です。もし天皇を尊ばず、聖賢を信じず、孔子のいう「どうして有るとし、どうして無いとできようか」、孟子のいう「この世に生まれたらこの世のために生きる」といった態度をもって偏りがないとするなら、それは神を侮り儒をあなどる最大のものです。これもまた戒めなければなりません。 そもそも、すでに神を敬うと言い、また儒を崇めるとも言う。それなら神と儒の間にもともと尊卑はないのか。堯・舜や三代の君を敬うことが、わが国の神々に仕えるのと同じようでなければ、偏りがないとは言えないのか。答えます。これは字面にこだわって、その意に基づかないものです。神州はあくまで神州、西土はあくまで西土です。向こうは私たちを外と見なし、私たちも向こうを下に見ます。中国の教えは特に内と外の区別が厳しいものです。私たちがこれを借りて用いる場合も、上下の別を正さなければなりません。ただ中国の教えについて論じるだけでも、そうです。まして国体を尊び名分を慎むことは、もとより日本の朝廷が最も重んじてきたところです。また、仏教を憎む理由は、その教えがいったん伝わると、ついに西竺(インド)を尊び、その外国の神(胡鬼)を奉じるようになったからではありませんか。もし儒教を崇めたあげくにその国を仰ぎ、歴代の人物にまで及んで日本の神聖と並べて奉じるなら、また一つの仏教を生むことになります。それでは穏やかではありません。 わが公(斉昭)はいつも言っていました。「中国の書を読む者は、堯・舜を尊ぶ心をもって日本の天皇を尊び、上帝に仕える心をもって日本の天祖に仕えるべきだ」と。この館を建てるにあたり、孔子廟の制度について議論が紛糾しました。ある者は塑像を設けるべきだと言い、ある者は十哲(孔子の高弟)や諸儒を配すべきだと言いました。公は断固として、ただ先聖(孔子)だけを祀り、配享の議には及びませんでした。また後世に奉った尊号も用いませんでした。かつて斎戒して正装し、自ら位牌に「孔子神位」と書かれました。慎みの極みです。偏りがないということは、この点にあるのでしょう。
解説
この章句が説くこと
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