おもひで草 / 文武不二・文武は二つに分けず一つに備える
西土は文武各異也、かれ文官は武事を勤めず、武官は文事に拘はらず、我皇國の文武一致にて文官武を兼ね、武官文を備ふ、 はやく後醍醐天皇の綸旨にも文武不二と書させ給へりとぞ、例の景山公の碑文に文武不岐と書せ給へるは、此綸旨の文に依らせ給へるにや、いとめでたし、
新字:西土は文武各異也、かれ文官は武事を勤めず、武官は文事に拘はらず、我皇国の文武一致にて文官武を兼ね、武官文を備ふ、 はやく後醍醐天皇の綸旨にも文武不二と書させ給へりとぞ、例の景山公の碑文に文武不岐と書せ給へるは、此綸旨の文に依らせ給へるにや、いとめでたし、
書き下し
西土は文武各異也、かれ文官は武事を勤めず、武官は文事に拘はらず、我皇國の文武一致にて文官武を兼ね、武官文を備ふ、 はやく後醍醐天皇の綸旨にも文武不二と書させ給へりとぞ、例の景山公の碑文に文武不岐と書せ給へるは、此綸旨の文に依らせ給へるにや、いとめでたし、
現代語訳
西方の国では文と武がそれぞれ別です。かの国の文官は武事を勤めず、武官は文事にかかわりません。わが皇国は文武が一致していて、文官が武を兼ね、武官が文を備えます。早く後醍醐天皇の綸旨にも「文武不二」とお書きになったとのことです。例の景山公(徳川斉昭)の碑文に「文武不岐」とお書きになったのは、この綸旨の文によられたのでしょうか。まことにめでたいことです。
解説
文と武を分けず、一人の中に兼ね備えるという考えです。筆者の国ぶり論の一部で、歴史的な文脈として読みます。現代の職場に置き換えると、企画と実行、考える力と動く力を職種で切り離さず、一人ひとりが両方を意識することの価値になります。管理職は、専門の壁を高くしすぎず、考える人にも現場を経験させ、動く人にも全体の意図を伝えるべきです。部署を越えた異動や共同の取り組みは、その具体策として有効です。分業しつつも、互いの領域を理解し合う組織が強くなります。
この章句が説くこと
おもひで草伴林光平文武不二文武一致後醍醐天皇分業
関連する章句
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第18段人間社会の事は千緒万端にして、ただ政治のみをもって組織すべきものに非ず。人の働もまた、千緒万端に分別してこれに応ぜざるべからず。すなわち人事の分業分任なり。すでにこれを分てこれに任ずるときは、おのおの長ずるところあるべきは自然の理にして、農商の事に長ずるものあり、工芸技術に長ずるものあり、あるいは学問に長じ、あるいは政治に長ずる等、相互に争うべからざるものあるがゆえに、この事に長ずるものは、この事の長者としてこれを貴び、その業に長ずる者は、その業の長者としてこれに最上の栄誉をあたうるもまた、自然の理において許すべきものなり。たとえば大関が相撲最上の長者なれば、九段は碁将棋最上の長者にして、その長者たるや、一等官が政事の長者たるに異ならざるなり。 されば、生れながらにして学に志し、畢生の精神を自身の研究と他人の教導とに用いて、その一方に長ずる者は、学問社会の長者にして、これまた一等官が政事の長者たるに異ならざるや、もとより明白なり。而してその相撲の大関または碁将棋の九段なる者が、太政大臣と同一様の栄誉を得ざるは何ぞや。相撲と碁将棋とは、その事柄において、これを政事に比して軽重の別あるがゆえに、その軽重の差にしたがいて、双方の長と長と比肩するを得ざるものなりといえども、今一国文明の進歩を目的に定めて、政事と学事と相互に比較したらば、いずれを重しとし、いずれを軽しとするは、判断においてはなはだ難き事ならん。 学者をして学問の貴きを説かしめたらば、政事の如きは小児の戯にして論ずるに足らざるものなりといい、政事家もまた学問を蔑視して、実用に足らざる老朽の空論なりとすることならんといえども、これはいわゆる双方の偏頗論にして、公平にいえば、政事も学問もともに人事の至要にして、双方ともに一日も空しゅうすべからず。政事は実際の衝にあたって大切なり。学問は永遠の大計を期して大切なり。政事は目下の安寧を保護して学者の業を安からしめ、学問は人を教育して政事家をも陶冶し出だす。双方ともに毫も軽重あることなしとの裁判にて、双方に不平なかるべし。
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孟子・滕文公章句上神農の言を為す者許行有り。楚より滕に之き、門に踵りて文公に告げて曰く、「遠方の人、君の仁政を行ふを聞く。願はくは一廛を受けて氓と為らん。」文公之に処を与ふ。其の徒数十人、皆褐を衣、屨を捆ち、席を織りて以て食を為す。陳良の徒陳相と其の弟辛と、耒耜を負ひて宋より滕に之く。曰く、「君聖人の政を行ふと聞く。是れ亦た聖人なり。願はくは聖人の氓と為らん。」陳相許行を見て大いに悦び、尽く其の学を棄てて焉に学ぶ。陳相孟子に見え、許行の言を道ひて曰く、「滕君は則ち誠に賢君なり。然りと雖も、未だ道を聞かざるなり。賢者は民と并び耕して食ひ、饔飧して治む。今や滕に倉廩府庫有り、則ち是れ民を厲まして以て自ら養ふなり。悪くんぞ賢なるを得ん。」孟子曰く、「許子は必ず粟を種ゑて而る後に食ふか。」曰く、「然り。」「許子は必ず布を織りて而る後に衣るか。」曰く、「否。許子は褐を衣る。」「許子は冠するか。」曰く、「冠す。」曰く、「奚をか冠する。」曰く、「素を冠す。」曰く、「自ら之を織るか。」曰く、「否。粟を以て之に易ふ。」曰く、「許子奚為れぞ自ら織らざる。」曰く、「耕すに害あればなり。」曰く、「許子は釜甑を以て爨ぎ、鉄を以て耕すか。」曰く、「然り。」「自ら之を為るか。」曰く、「否。粟を以て之に易ふ。」「粟を以て械器に易ふる者は、陶冶を厲ますと為さず。陶冶も亦た其の械器を以て粟に易ふる者、豈に農夫を厲ますと為さんや。且つ許子何ぞ陶冶を為し、舎皆諸を其の宮中に取りて之を用ひざる。何為れぞ紛紛然として百工と交易する。何ぞ許子の煩はしきを憚らざる。」曰く、「百工の事は、固より耕し且つ為す可からざるなり。」「然らば則ち天下を治むるは独り耕し且つ為す可けんや。大人の事有り、小人の事有り。且つ一人の身にして、百工の為す所備はる。如し必ず自ら為りて而る後に之を用ひば、是れ天下を率ゐて路せしむるなり。故に曰く、或いは心を労し、或いは力を労す。心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる。
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