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おもひで草 / 敎諭次序・教えは先に惑いを解いてから説く

凡て道を敎るは惑へる者の爲なれば、惑ひたらぬ者の爲には更に用なし、されば其惑へる理を解覺すが始にて正しく道を說くは次なるべし、さるを近頃の俗儒輩やう〱我古學の眞盛に行はれもてゆく勢に催されて、且々皇國の上を尊氣に言居る男等、尙固疾の全くは癒ぬにや、潛に爪彈していへらく、本居が敎はさも有べし、されど勤て儒佛を塞ぐは心狹きわざ也、己が道の正しき理をだに說示さば、外の道の違へる理は自然に知られなんを、偏りたる學風なりなどつぶやきをるとか、此はかの惑を解くを初とすべき理をしもえしらぬ僻言なり、今や我國內の人民、千有餘年の昔より旣く固有の大道を蹈違へて、佛に淫せねば儒に諂ひ、儒に陷らねば佛に耽りて、其道其敎に惑はされつゝ、遂に目盲ひ耳聾ひて固有の精神を失ひ居るを、己が正しき道のみ說聞せて其をよく聞きよく信得てよく從はんや、急ぎ先其惑へる理を解さとし、其道其敎のあらぬ節々を辨へきかせて、さて後にこそおのが敎は語るべけれ、さてもなほおのが道のみ說聞せて事足りなんと言はんとにや、いぶかし〱、なほいふべし、儒者は古學者の儒を斥くるを忌嫌ひて佛を誹るを快氣に聞居り、佛徒は佛を誹るを打腹立て儒を貶むるを喜びとす、互におのがすける道に泥みて外のとはおもはぬなめり、わが古學の方より見れば、儒も佛もともにあらぬ外國の異道なるをや、

新字:凡て道を教るは惑へる者の為なれば、惑ひたらぬ者の為には更に用なし、されば其惑へる理を解覚すが始にて正しく道を説くは次なるべし、さるを近頃の俗儒輩やう〱我古学の真盛に行はれもてゆく勢に催されて、且々皇国の上を尊気に言居る男等、尚固疾の全くは癒ぬにや、潜に爪弾していへらく、本居が教はさも有べし、されど勤て儒仏を塞ぐは心狭きわざ也、己が道の正しき理をだに説示さば、外の道の違へる理は自然に知られなんを、偏りたる学風なりなどつぶやきをるとか、此はかの惑を解くを初とすべき理をしもえしらぬ僻言なり、今や我国内の人民、千有余年の昔より既く固有の大道を蹈違へて、仏に淫せねば儒に諂ひ、儒に陥らねば仏に耽りて、其道其教に惑はされつゝ、遂に目盲ひ耳聾ひて固有の精神を失ひ居るを、己が正しき道のみ説聞せて其をよく聞きよく信得てよく従はんや、急ぎ先其惑へる理を解さとし、其道其教のあらぬ節々を弁へきかせて、さて後にこそおのが教は語るべけれ、さてもなほおのが道のみ説聞せて事足りなんと言はんとにや、いぶかし〱、なほいふべし、儒者は古学者の儒を斥くるを忌嫌ひて仏を誹るを快気に聞居り、仏徒は仏を誹るを打腹立て儒を貶むるを喜びとす、互におのがすける道に泥みて外のとはおもはぬなめり、わが古学の方より見れば、儒も仏もともにあらぬ外国の異道なるをや、

書き下し

凡て道を敎るは惑へる者の爲なれば、惑ひたらぬ者の爲には更に用なし、されば其惑へる理を解覺すが始にて正しく道を說くは次なるべし、さるを近頃の俗儒輩やう〱我古學の眞盛に行はれもてゆく勢に催されて、且々皇國の上を尊氣に言居る男等、尙固疾の全くは癒ぬにや、潛に爪彈していへらく、本居が敎はさも有べし、されど勤て儒佛を塞ぐは心狹きわざ也、己が道の正しき理をだに說示さば、外の道の違へる理は自然に知られなんを、偏りたる學風なりなどつぶやきをるとか、此はかの惑を解くを初とすべき理をしもえしらぬ僻言なり、今や我國內の人民、千有餘年の昔より旣く固有の大道を蹈違へて、佛に淫せねば儒に諂ひ、儒に陷らねば佛に耽りて、其道其敎に惑はされつゝ、遂に目盲ひ耳聾ひて固有の精神を失ひ居るを、己が正しき道のみ說聞せて其をよく聞きよく信得てよく從はんや、急ぎ先其惑へる理を解さとし、其道其敎のあらぬ節々を辨へきかせて、さて後にこそおのが敎は語るべけれ、さてもなほおのが道のみ說聞せて事足りなんと言はんとにや、いぶかし〱、なほいふべし、儒者は古學者の儒を斥くるを忌嫌ひて佛を誹るを快氣に聞居り、佛徒は佛を誹るを打腹立て儒を貶むるを喜びとす、互におのがすける道に泥みて外のとはおもはぬなめり、わが古學の方より見れば、儒も佛もともにあらぬ外國の異道なるをや、

現代語訳

総じて道を教えるのは迷っている者のためであり、迷っていない者のためには全く用がありません。ですから、その迷っている理由を解き明かすのが初めで、正しく道を説くのは次です。それなのに近ごろの俗儒たちは、わが古学が次第に盛んに行われていく勢いに押され、いちおう皇国のことを尊そうに口にしている男たちも、なお持病が全くは治らないのか、ひそかに爪弾きして言うことには、本居(宣長)の教えはそれもよいだろう、しかし努めて儒教や仏教を塞ごうとするのは心の狭いことだ、自分の道の正しい理さえ説き示せば、ほかの道の違っている理は自然に知られるだろう、偏った学風だなどとつぶやいているとか。これは、迷いを解くことを初めにすべき理を知らない、ひがんだ言い分です。いま国内の人々は、千年余りの昔からすでに固有の大道を踏み違えて、仏に溺れなければ儒にへつらい、儒に陥らなければ仏に耽って、その道その教えに惑わされ、ついには目も耳も塞がれて固有の精神を失っているのに、自分の正しい道だけを説き聞かせて、よく聞き、よく信じ、よく従うでしょうか。急いでまずその惑いの理を解き諭し、その道その教えの誤った点々をわきまえさせて、それから後に自分の教えを語るべきです。それでもなお自分の道だけを説いて足りると言うのでしょうか。いぶかしいことです。なお言いましょう。儒者は古学者が儒を退けるのを嫌って仏をそしるのを快く聞き、仏徒は仏をそしるのに腹を立てて儒をおとしめるのを喜びとします。互いに自分の好む道にこだわって、ほかのことは思わないようです。わが古学の立場から見れば、儒も仏もともにふさわしくない外国の異なる道なのですが。

解説

人に教えるときは、まず相手の迷いや誤解を解き、そのうえで正しい考えを説くべきだという順序の話です。筆者の古学の立場からの主張で、儒仏を異国の道とみなす点は歴史的な文脈として読む必要があります。現代の管理職の指導にも通じる点があります。部下が誤った思い込みや不安を抱えたままでは、正論を説いても届きません。まず相手が何に迷っているのかを聴き、その原因をほぐしてから、自分の方針を語るほうが納得を得られます。順序を誤らないことが、指導の効果を左右します。

この章句が説くこと

おもひで草伴林光平教諭惑い指導の順序古学

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