弁名 / 天命帝鬼神
且其言曰。明其道。曉其義。使民不惑於所從焉。其言則是。而其意則非矣。若使明先王之道。曉先王之義一意從先王之敎。而無他岐之惑則可也。然先王之敎。禮焉耳。今不遵先王之禮。而欲以言語明其理。則君子尙不能。況民而戶說之。使喩其理不惑於鬼神。是雖百孔子亦所不能也。乃其爲理學所錮。而不自覺其言之非者。豈不悲乎。漢以來。佛老之道滿天下。而莫之能廢者。先王鬼神之敎壞故也。是豈理學者流所能知哉。
新字:且其言曰。明其道。暁其義。使民不惑於所従焉。其言則是。而其意則非矣。若使明先王之道。暁先王之義一意従先王之教。而無他岐之惑則可也。然先王之教。礼焉耳。今不遵先王之礼。而欲以言語明其理。則君子尚不能。況民而戸説之。使喩其理不惑於鬼神。是雖百孔子亦所不能也。乃其為理学所錮。而不自覚其言之非者。豈不悲乎。漢以来。仏老之道満天下。而莫之能廃者。先王鬼神之教壊故也。是豈理学者流所能知哉。
書き下し
且つ其の言に曰く、「其の道を明らかにし、其の義を暁らかにし、民をして従ふ所に惑はざらしむ」と。其の言は則ち是なり。而して其の意は則ち非なり。若し先王の道を明らかにし、先王の義を暁らかにし、一意に先王の教へに従ひて、他岐の惑ひ無からしめば則ち可なり。然れども先王の教へは、礼のみ。今先王の礼に遵はずして、言語を以て其の理を明らかにせんと欲す。則ち君子すら尚ほ能はず。況んや民にして戸ごとに之に説き、其の理を喩りて鬼神に惑はざらしむるをや。是れ百孔子と雖も亦た能はざる所なり。乃ち其の理学の錮ぐ所と為りて、自ら其の言の非なるを覚らざる者、豈に悲しからずや。漢以来、仏老の道天下に満ちて、之を能く廃する莫き者は、先王鬼神の教へ壊るるが故なり。是れ豈に理学者流の能く知る所ならんや。
現代語訳
また仁斎は「その道を明らかにし、その義を分からせ、民が従うところに迷わないようにする」と言う。言葉そのものは正しいが、その意図は誤っている。もし先王の道を明らかにし、先王の義を分からせ、ひたすら先王の教えに従わせて、他の道に迷わないようにするのなら、それでよい。しかし先王の教えとは礼にほかならない。いま先王の礼に従わずに、言葉で理を明らかにしようとしても、君子でさえできない。まして民に一軒一軒説いて回り、理を分からせて鬼神に惑わないようにするなど、孔子が百人いてもできないことである。理学にとらわれて、自分の言葉の誤りに気づかないのは、なんと悲しいことか。漢以来、仏教と老荘の道が天下に満ちて、廃することができないのは、先王の鬼神の教えが壊れたからである。これがどうして理学の徒に分かるだろうか。
解説
この章句が説くこと
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