弘道館記述義 / 中世以降・異端を排する道と、遣唐の弊害
資而用之。排之者未必得其道。用之者或能成其私。佛法之熾職是之由。何謂信而奉之。富貴者恐死後之貧賤。患難者倖身後之安樂。其爲善者欲到彼岸。爲惡者祈免呵責。是不亦信而奉之乎。何謂利而使之。衆皆信佛我獨違之不智也。且其流雖妄。足以勸懲愚俗。苟有補於我治。何嫌於夷狄之法。是不亦利而使之乎。異端之害民猶疾病之於人。善治疾病者先養其元氣。善排異端者先脩其大道。若徒攻擊驅除。取快一時。則禍變所激。將有不可勝救者。是不亦排之者未必得其道乎。愚俗之信佛皆狥其欲也。今我奉佛以卒之。則衆之尊我猶尊佛。夫然後彼寧背其君父。不背佛與我。我之大欲於是可逞也。是不亦用之者或能成其私乎。嗚呼天下之廣。愚冥之民十居七八。智巧之士又居其一二。則其奉佛者滔滔日滋。至於純明剛毅之人。僅存十一於千百。而又或不免禍敗。則其所以明大道養元氣。躋斯民於仁壽之域者。寥寥甚少。萬一姦詐狡猾之賊。資胡敎以結民心。鼓滔滔日滋之衆。殲寥寥甚少之人。以逞其大欲。則茫茫宇宙。幾何不其相率而爲西戎也。當路之人豈可不深謀遠慮。思所以應不虞之變於異日乎哉。俗儒曲學舍此從彼。臣彪謹案。神聖之建基。仁厚威武。固既冠絶宇內。若其文物之盛。頗倣李唐。於是遣唐留學史不絶筆。博物詞藻世不乏其人。然利之所在弊亦隨之。俗儒曲學阿其所好。舍此從彼。而先聖取於人爲善之美意荒矣。世之談古者。於博物必稱吉備眞備。於詞藻必稱安倍仲麻呂。以臣觀之。俗儒曲學舍此從彼未必不二人者爲之倡焉。則其才學雖多亦奚以爲。夫儒敎所以培養斯道。
新字:資而用之。排之者未必得其道。用之者或能成其私。仏法之熾職是之由。何謂信而奉之。富貴者恐死後之貧賤。患難者倖身後之安楽。其為善者欲到彼岸。為悪者祈免呵責。是不亦信而奉之乎。何謂利而使之。衆皆信仏我独違之不智也。且其流雖妄。足以勧懲愚俗。苟有補於我治。何嫌於夷狄之法。是不亦利而使之乎。異端之害民猶疾病之於人。善治疾病者先養其元気。善排異端者先脩其大道。若徒攻撃駆除。取快一時。則禍変所激。将有不可勝救者。是不亦排之者未必得其道乎。愚俗之信仏皆狥其欲也。今我奉仏以卒之。則衆之尊我猶尊仏。夫然後彼寧背其君父。不背仏与我。我之大欲於是可逞也。是不亦用之者或能成其私乎。嗚呼天下之広。愚冥之民十居七八。智巧之士又居其一二。則其奉仏者滔滔日滋。至於純明剛毅之人。僅存十一於千百。而又或不免禍敗。則其所以明大道養元気。躋斯民於仁寿之域者。寥寥甚少。万一姦詐狡猾之賊。資胡教以結民心。鼓滔滔日滋之衆。殲寥寥甚少之人。以逞其大欲。則茫茫宇宙。幾何不其相率而為西戎也。当路之人豈可不深謀遠慮。思所以応不虞之変於異日乎哉。俗儒曲学舎此従彼。臣彪謹案。神聖之建基。仁厚威武。固既冠絶宇内。若其文物之盛。頗倣李唐。於是遣唐留学史不絶筆。博物詞藻世不乏其人。然利之所在弊亦随之。俗儒曲学阿其所好。舎此従彼。而先聖取於人為善之美意荒矣。世之談古者。於博物必称吉備真備。於詞藻必称安倍仲麻呂。以臣観之。俗儒曲学舎此従彼未必不二人者為之倡焉。則其才学雖多亦奚以為。夫儒教所以培養斯道。
書き下し
資りて之を用ふ。之を排する者は未だ必ずしも其の道を得ず、之を用ふる者は或いは能く其の私を成す。仏法の熾んなる職として是に由る。何をか信じて奉ずと謂ふ。富貴なる者は死後の貧賤を恐れ、患難なる者は身後の安楽を倖ひ、其の善を為す者は彼岸に到らんと欲し、悪を為す者は呵責を免れんと祈る。是れ亦信じて之を奉ずるに非ずや。何をか利して之を使ふと謂ふ。衆皆仏を信ず、我独り之に違ふは不智なり。且つ其の流は妄なりと雖も、以て愚俗を勧懲するに足る。苟くも我が治に補ひ有らば、何ぞ夷狄の法を嫌はん、と。是れ亦利して之を使ふに非ずや。異端の民を害するは、猶ほ疾病の人におけるがごとし。善く疾病を治する者は先づ其の元気を養ひ、善く異端を排する者は先づ其の大道を脩む。若し徒らに攻撃駆除して、快を一時に取らば、則ち禍変の激する所、将に救ふに勝ふべからざる者有らんとす。是れ亦之を排する者は未だ必ずしも其の道を得ざるに非ずや。愚俗の仏を信ずるは皆其の欲に狥ふなり。今我仏を奉じて以て之を卒ふれば、則ち衆の我を尊ぶこと猶ほ仏を尊ぶがごとし。夫れ然る後に彼は寧ろ其の君父に背くとも、仏と我とには背かず。我が大欲是に於て逞しうすべし。是れ亦之を用ふる者は或いは能く其の私を成すに非ずや。嗚呼天下の広き、愚冥の民は十に七八に居り、智巧の士は又其の一二に居る。則ち其の仏を奉ずる者は滔滔として日に滋し。純明剛毅の人に至りては、僅かに千百に十一を存し、而も又或いは禍敗を免れず。則ち其の大道を明らかにし元気を養ひ、斯の民を仁寿の域に躋らしむる所以の者は、寥寥として甚だ少なし。万一姦詐狡猾の賊、胡教に資りて以て民心を結び、滔滔として日に滋すの衆を鼓し、寥寥として甚だ少なき人を殲し、以て其の大欲を逞しうせば、則ち茫茫たる宇宙、幾何ぞ其の相率ゐて西戎と為らざらん。当路の人、豈に深謀遠慮して、不虞の変に異日に応ずる所以を思はざるべけんや。俗儒曲学、此を舎てて彼に従ふ。臣彪謹んで案ずるに、神聖の基を建つるや、仁厚威武、固より既に宇内に冠絶す。其の文物の盛んなるが若きは、頗る李唐に倣ふ。是に於て遣唐留学の史絶筆せず、博物詞藻、世に人に乏しからず。然れども利の在る所、弊も亦随ふ。俗儒曲学其の好む所に阿り、此を舎てて彼に従ひ、而して先聖の人に取りて善を為すの美意荒れたり。世の古を談ずる者、博物には必ず吉備真備を称し、詞藻には必ず安倍仲麻呂を称す。臣を以て之を観れば、俗儒曲学の此を舎てて彼に従ふは、未だ必ずしも二人の者の倡を為さずんばあらず。則ち其の才学多しと雖も亦奚ぞ以て為さん。夫れ儒教の斯の道を培養する所以は、
現代語訳
(悪賢く人をだます賊は、)これに便乗して利用します。これを排する者は必ずしも正しい方法を得ているとは限らず、これを用いる者は私欲を遂げることがあります。仏法が盛んになった理由は、まさにここにあります。信じて奉ずるとは何をいうのか。富貴な者は死後に貧しく卑しくなることを恐れ、困難にある者は死後の安楽を願い、善行をする者は彼岸に至りたいと思い、悪行をする者はとがめを免れたいと祈ります。これが、信じて奉ずるということです。利用して使うとは何をいうのか。皆が仏を信じているのに、自分だけが背くのは賢くない。しかもその教えは妄説であっても、愚かな民をはげまし戒めるには足りる。もしわが国の統治の助けになるなら、夷狄の法だからといって何を嫌うことがあろうか、というものです。これが、利用して使うということです。異端が民を害するのは、病気が人を害するのと同じです。病気を上手に治す者は、まずその人の元気を養います。異端を上手に排する者は、まず大道を修めます。もしむやみに攻撃し追い払って一時の溜飲を下げれば、それが引き起こす災いと変事は、救いきれないものになるでしょう。これが、排する者が必ずしも正しい方法を得ていない、ということです。愚かな民が仏を信じるのは、みな自分の欲に従うからです。いま私が仏を奉じて目的を遂げれば、人々が私を尊ぶことは仏を尊ぶのと同じになります。そうなれば、彼らはむしろ君や父に背いても、仏と私には背かないでしょう。私の大きな欲はそこで遂げられます。これが、用いる者が私欲を遂げることがある、ということです。ああ、天下は広く、愚かで暗い民が十のうち七、八を占め、知恵と技巧のある士がその一、二を占めます。だから仏を奉ずる者は、あふれるように日に日に増えます。純粋で聡明、剛毅な人は、千や百の中の一にすぎず、しかもその人々も禍や敗北を免れない場合があります。そのため大道を明らかにし元気を養って、この民を仁と長寿の境地に引き上げようとする者は、まばらでごく少数です。万一、悪賢く人をだます賊が、胡の教えを利用して民心を結び、日に日に増えるあふれるほどの大衆を扇動して、まばらでごく少数の人々を滅ぼし、自らの大欲を遂げたなら、広い宇宙のどこまでが、そろって西戎になってしまわずにいられるでしょうか。権力の座にある人は、深く考えを巡らし、遠い先まで見通して、将来の思いがけない変事にどう対応するかを考えずにいてよいでしょうか。「俗儒曲学は、これを捨てて彼に従う」。臣の彪が謹んで考えますに、聖天子が国の基を建てたとき、仁厚と威武はすでに天下に抜きんでていました。その文物の盛んさは、唐にかなり倣ったものです。そこで遣唐使・留学の記録が絶えず、博識の人や文才の人が世に乏しくありませんでした。しかし利のあるところには弊害も伴います。俗儒や曲学の徒は自分の好むものにおもねり、これを捨てて彼に従い、先聖が人から善を取り入れた美しい意図は荒れてしまいました。世に古を語る者は、博識では必ず吉備真備を挙げ、文才では必ず安倍仲麻呂を挙げます。私が見るところ、俗儒曲学がこれを捨てて彼に従うのは、必ずしもこの二人が先に唱えたことではないとはいえません。そうであれば、その才学が多くても何の役に立つでしょうか。そもそも儒教が、この道を育てる理由は、
解説
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