おもひで草 / 讀書利害・読書は酒と同じ、溺れれば精神を失う
書籍讀むは酒飲むに均しく、耽りて書籍讀むは猥りに酒飲むに同じ、抑酒は其身の氣力を補はん爲に飲む物なれど、其量をすごせば、却て其氣力を飢る、書籍も己が精神を助けん爲に讀むものなれど、其心掟なく漫によまば、中ゝに其精神を失ふべし、さらば酒飲て氣力を飢らば飲まぬ方却てまさりなむ、書籍讀て精神を失はゞ讀まぬ方中ゝにまさりぬべし、酒に醉ひて氣力を飢りたるはなほ醒る期あるべきを、書籍に讀耽りて精神を失ひたるは誤を知る時なかるべし、近頃あらぬ西洋の學の道におり立、あらぬ異國の書籍に讀耽りて、皇國固有の精神を失へる人、かの酒に醉痴れて氣力を飢れる人よりもいとゞ多かなるを、大方の世人は知らずや有らん、將酒飲まで氣力の衰へず、書籍讀まで精神の確如なる人も、此の世中にはいと多かめるを、さてもなほ酒飲め書籍讀めともて勸めもて誡むべきにや、よしや書籍讀まで湊の蘆の猥りがはしく、鹽燒く灘のなだらかならぬ所行は、自然立交るとも、稻搗蟹のかにかくに。おのが生得たる精神だに失はずば、强て書籍は讀までも有りなん、かの氣力だに衰へずば、酒は飲までも事なきが如くなるべきをや、
新字:書籍読むは酒飲むに均しく、耽りて書籍読むは猥りに酒飲むに同じ、抑酒は其身の気力を補はん為に飲む物なれど、其量をすごせば、却て其気力を飢る、書籍も己が精神を助けん為に読むものなれど、其心掟なく漫によまば、中ゝに其精神を失ふべし、さらば酒飲て気力を飢らば飲まぬ方却てまさりなむ、書籍読て精神を失はゞ読まぬ方中ゝにまさりぬべし、酒に酔ひて気力を飢りたるはなほ醒る期あるべきを、書籍に読耽りて精神を失ひたるは誤を知る時なかるべし、近頃あらぬ西洋の学の道におり立、あらぬ異国の書籍に読耽りて、皇国固有の精神を失へる人、かの酒に酔痴れて気力を飢れる人よりもいとゞ多かなるを、大方の世人は知らずや有らん、将酒飲まで気力の衰へず、書籍読まで精神の確如なる人も、此の世中にはいと多かめるを、さてもなほ酒飲め書籍読めともて勧めもて誡むべきにや、よしや書籍読まで湊の蘆の猥りがはしく、塩焼く灘のなだらかならぬ所行は、自然立交るとも、稲搗蟹のかにかくに。おのが生得たる精神だに失はずば、強て書籍は読までも有りなん、かの気力だに衰へずば、酒は飲までも事なきが如くなるべきをや、
書き下し
書籍讀むは酒飲むに均しく、耽りて書籍讀むは猥りに酒飲むに同じ、抑酒は其身の氣力を補はん爲に飲む物なれど、其量をすごせば、却て其氣力を飢る、書籍も己が精神を助けん爲に讀むものなれど、其心掟なく漫によまば、中ゝに其精神を失ふべし、さらば酒飲て氣力を飢らば飲まぬ方却てまさりなむ、書籍讀て精神を失はゞ讀まぬ方中ゝにまさりぬべし、酒に醉ひて氣力を飢りたるはなほ醒る期あるべきを、書籍に讀耽りて精神を失ひたるは誤を知る時なかるべし、近頃あらぬ西洋の學の道におり立、あらぬ異國の書籍に讀耽りて、皇國固有の精神を失へる人、かの酒に醉痴れて氣力を飢れる人よりもいとゞ多かなるを、大方の世人は知らずや有らん、將酒飲まで氣力の衰へず、書籍讀まで精神の確如なる人も、此の世中にはいと多かめるを、さてもなほ酒飲め書籍讀めともて勸めもて誡むべきにや、よしや書籍讀まで湊の蘆の猥りがはしく、鹽燒く灘のなだらかならぬ所行は、自然立交るとも、稻搗蟹のかにかくに。おのが生得たる精神だに失はずば、强て書籍は讀までも有りなん、かの氣力だに衰へずば、酒は飲までも事なきが如くなるべきをや、
現代語訳
書物を読むのは酒を飲むのと同じで、読みふけるのはむやみに酒を飲むのと同じです。そもそも酒は体の気力を補うために飲むものですが、量を過ごせばかえって気力を失います。書物も自分の精神を助けるために読むものですが、心の定めなくむやみに読めば、かえって精神を失うでしょう。それなら、酒を飲んで気力を失うくらいなら飲まないほうがよく、書物を読んで精神を失うくらいなら読まないほうがよいでしょう。酒に酔って気力を失った者はまだ醒める時があるでしょうが、書物に読みふけって精神を失った者は、誤りに気づく時がないでしょう。近ごろ、見当違いの西洋の学問の道に入り、異国の書物に読みふけって、皇国固有の精神を失った人は、あの酒に酔いしれて気力を失った人よりもいっそう多いようですが、世間の大方の人は知らないのでしょうか。一方で、酒を飲まなくても気力が衰えず、書物を読まなくても精神がしっかりした人も世の中にはとても多いようですが、それでもなお酒を飲め、書物を読めと勧め戒めるべきでしょうか。たとえ書物を読まず、湊の葦のように乱れ、塩を焼く灘のように穏やかでない振る舞いが自然に混じることがあっても、あれこれ言わず、生まれながらの精神さえ失わなければ、無理に書物は読まなくてもよいでしょう。あの気力さえ衰えなければ、酒は飲まなくても差し支えないのと同じことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
伝習録・黄省曾録先生曰く、「学問も也(また)点化を要す。但だ自家、解化する者の、自ら一了百当なるに如かず。然らずんば、亦た点化するも許多、得ず」と。
-
言志四録・言志録 第六条 学は立志より要なるは莫し学は志を立つるより要なるは莫し。而して志を立つるも亦之を強ふるに非ず。只本心の好む所に従ふのみ。
-
言志四録・言志耋録 第十七条 火を乞ふは燧を取るに若かず志学の士は、当に自ら己に頼るべし。人の熱に因ること勿れ。淮南子に曰く、「火を乞ふは燧を取るに若かず。汲を寄するは井を鑿つに若かず」と。己に頼るを謂ふなり。
-
『益軒家訓』幼児須教一学問の大綱は、大学の経の文、朱子の学規を以て法則とす。必天地聖人の道に背きて、仏氏の教に従ふべからず。若仏氏に従ふ者あらば、父祖の遺訓に背き、不孝の罪に陥るのみならず、天地神明の道に背く。故に天地神明の罪人なるべし。天道は至公にして、其咎なしといへども、恐るべき事なり。但不仁は天の責を身にうけ、子孫に報ふ事影響の如し、畏るべき事の甚しきなり。
-
うひ山ぶみ・本文上ノ件ところどころ、圏の内に、かたかなをもてしるししたるは、いはゆる相じるしにて、その件リ々にいへることの、然る子細を、又奥に別にくはしく論ひさとしたるを、そこはこゝと、たづねとめて、しらしめん料のしるし也、世に物まなびのすぢしなじな有て云々、物学とは、皇朝の学問をいふ、そもそもむかしより、たゞ学問とのみいへば、漢学のことなる故に、その学と分むために、皇国の事の学をば、和学或は国学などいふならひなれども、そはいたくわろきいひざま也、みづからの国のことなれば、皇国の学をこそ、たゞ学問とはいひて、漢学をこそ、分て漢学といふべきことなれ、それももし漢学のこととまじへいひて、まぎるゝところにては、皇朝学などはいひもすべきを、うちまかせてつねに、和学国学などいふは、皇国を外にしたるいひやう也、もろこし朝鮮於蘭陀などの異国よりこそ、さやうにもいふべきことなれ、みづから吾国のことを、然いふべきよしなし、すべてもろこしは、外の国にて、かの国の事は、何事もみな外の国の事なれば、
-
『講孟余話』附尾 讀保建大記一條跋。講孟劄記成る。因りて復た瀏覧すること一周、遂に名を講孟余話と改む。蓋し劄は鍼刺なり。凡そ其の記す所、精義を発し、文藻を摛ぶること、鍼の膚を刺して鮮血迸り出づるが如く、鍼の衣を刺して彩線絺繍するが如くにして、而る後以て称名と為すに足るのみ。而して余の此の著、豈に其れ然らんや。余の獄に在るや、囚徒胥ひ居り、其の已に家に帰るや、親戚盍簪す。時に乃ち孟子を把りて之れを講ず。其の訓詁を精しくするに非ず、其の文字を喜ぶに非ず、唯だ其の一憂一楽、一喜一怒、尽く諸を孟子に寓するのみ。故に其の喜楽に当りてや、孟子を講じて、復た益々喜楽し、其の憂怒に当りてや、孟子を講じて、復た益々憂怒す。憂怒の抑ふべからず、喜楽の歇むべからず、話に随ひ話に随ひ、稍積みて巻を成す者、即ち此の著なり。然らば則ち是れ特に講孟の余話のみ、何ぞ劄記と為すことを得んや。余已に囚徒親戚と、其の憂楽を同じくし、其の喜怒を共にす、亦已に足れり。而るに又之れを録して巻を成し以て世に問ふ、太だ贅ならずや。且つ此れを持して経学先生に問はんか、経学先生将に其の雑駁麁豪を罵らんとす。此れを持して文章博士に問はんか、文章博士将に其の鄙俚蕪陋を笑はんとす。然らば則ち当今の世、孰れか問ひ孰れか答へんや。噫、是れ吾が余話の録に已む能はざる所以なり。夫れ天下経学文章を以て教へと為す、蓋し亦久しいかな。経学益々明らかに、文章益々美にして、国威日に細く、外夷日に熾んなり。斯の道の道たる所以の者は、果して何くにか在る。則ち天下吾と憂楽を同じくし喜怒を共にする者、亦何ぞ独り一二の囚徒親戚のみならんや。而るに余屏居して世を謝す、世其の人有りと雖も、相従ひて晤言するに由なし。則ち余話の録、吾益々已む能はざるなり。噫、天下の士、其れ何を以て之れを教へん。安政三年、歳丙辰に次る、季夏の日、二十一回猛士藤寅、諸を松陰の囚室に書す。此の編、業を去年六月十三日に起し、今年六月十三日に卒る。中間或は作り或は輟め、居処已に変じ、会する者又異なり、而して正に期月に当りて、方に乃ち編を成す、亦奇ならずや。寅重ねて書す。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る