おもひで草 / 和戰當否・義に喩る者と利に喩る者
正論も時に合はずば非義なるべし、さらば其議論の上の判斷は姑く息めて、先其時世の形勢を明察にして、時に合ふ合はぬの差別を辨ふべきわざなりけり、又云、人各異也、勇める有り、怯劣さ有り、義に喩き有り、利に喩き有り、義に喩ければ利に疎し、かれ恥を知りて勇まし、利に喩ければ義に疎し、かれ恥を忍て心怯劣し、親食む鳥の梟のひれぶるに貪情ふかくて利にのみ喩き黨類は、たゞ交易のみを事として、あらぬ富貴を希ふめれば、かの罸棄てんといふ方をば嫌ふべし、縱令死すとも穗は啄じ、とおもひ擧れる箸鷹の高く雄々しき武士は、利を貪るの情露ばかりもなくて純一に夷賊の無禮を罸こらして、國の汚穢を雪がむとのみ欲すめれば、和らぎ親まん方を忌惡むべし、此も亦情のひくさなめれば、いづれを可とも否とも輙くとり定めてはいひがたし、たゞ利を欲すると義を欲するとの二の上の可否をだに辨へ知らば、その議論の上の可否はおのづから知らるべき理なるをや、
新字:正論も時に合はずば非義なるべし、さらば其議論の上の判断は姑く息めて、先其時世の形勢を明察にして、時に合ふ合はぬの差別を弁ふべきわざなりけり、又云、人各異也、勇める有り、怯劣さ有り、義に喩き有り、利に喩き有り、義に喩ければ利に疎し、かれ恥を知りて勇まし、利に喩ければ義に疎し、かれ恥を忍て心怯劣し、親食む鳥の梟のひれぶるに貪情ふかくて利にのみ喩き党類は、たゞ交易のみを事として、あらぬ富貴を希ふめれば、かの罰棄てんといふ方をば嫌ふべし、縦令死すとも穂は啄じ、とおもひ挙れる箸鷹の高く雄々しき武士は、利を貪るの情露ばかりもなくて純一に夷賊の無礼を罰こらして、国の汚穢を雪がむとのみ欲すめれば、和らぎ親まん方を忌悪むべし、此も亦情のひくさなめれば、いづれを可とも否とも輙くとり定めてはいひがたし、たゞ利を欲すると義を欲するとの二の上の可否をだに弁へ知らば、その議論の上の可否はおのづから知らるべき理なるをや、
書き下し
正論も時に合はずば非義なるべし、さらば其議論の上の判斷は姑く息めて、先其時世の形勢を明察にして、時に合ふ合はぬの差別を辨ふべきわざなりけり、又云、人各異也、勇める有り、怯劣さ有り、義に喩き有り、利に喩き有り、義に喩ければ利に疎し、かれ恥を知りて勇まし、利に喩ければ義に疎し、かれ恥を忍て心怯劣し、親食む鳥の梟のひれぶるに貪情ふかくて利にのみ喩き黨類は、たゞ交易のみを事として、あらぬ富貴を希ふめれば、かの罸棄てんといふ方をば嫌ふべし、縱令死すとも穗は啄じ、とおもひ擧れる箸鷹の高く雄々しき武士は、利を貪るの情露ばかりもなくて純一に夷賊の無禮を罸こらして、國の汚穢を雪がむとのみ欲すめれば、和らぎ親まん方を忌惡むべし、此も亦情のひくさなめれば、いづれを可とも否とも輙くとり定めてはいひがたし、たゞ利を欲すると義を欲するとの二の上の可否をだに辨へ知らば、その議論の上の可否はおのづから知らるべき理なるをや、
現代語訳
正論も時に合わなければ非義となるでしょう。それならば、その議論そのものの上の判断はしばらくやめて、まずその時世の形勢をはっきりと見極め、時に合うか合わないかの差別をわきまえるべきことでした。またこうも言いました。人はそれぞれ異なります。勇ましい者もあり、臆病な者もあり、義に敏い者もあり、利に敏い者もあります。義に敏ければ利に疎く、恥を知って勇ましいのです。利に敏ければ義に疎く、恥を忍んで心が臆病です。親を食らう鳥のふくろうのように貪る心が深く、利にばかり敏い仲間は、ただ交易のみを事として、分不相応な富貴を願うようですから、討ち払おうという側を嫌うでしょう。たとえ死んでも穂は啄まないと心に決めた鷹のように、高く雄々しい武士は、利を貪る心が露ほどもなく、ひたすら夷賊の無礼を懲らしめて、国の汚れをすすぎたいとだけ思うようですから、穏やかに親しもうという側を嫌うでしょう。これもまた心の持ち方の違いですから、どちらを可とも否とも簡単には決めて言いがたいのです。ただ、利を望むのと義を望むのとの二つの面での可否さえ見分けて知れば、その議論の可否は自然に知れるはずの理でしょう。
解説
この章句が説くこと
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