言志四録 / 言志耋録 第七十九条 嫌を避けて為さざる勿れ
事固自爲謀。而迹似爲人者有之。戒勿爲之。固爲人謀。而或疑自爲者有之。勿避嫌不爲。
新字:事固自為謀。而迹似為人者有之。戒勿為之。固為人謀。而或疑自為者有之。勿避嫌不為。
書き下し
事固より自ら為にするの謀にして、迹の人の為にするに似たる者之れ有り。戒めて之を為すこと勿れ。固より人の為に謀りて、或は自ら為にするかと疑はるる者之れ有り。嫌を避けて為さざること勿れ。
現代語訳
本当は自分のためにたくらむことなのに、外から見ると人のためにしているように見えるものがある。これは戒めて、してはならない。本当は人のために考えているのに、自分のためにしているのではと疑われかねないものがある。これは疑いを避けるためにやめてしまってはならない。
解説
動機と見かけのずれを二つの場合に分けて論じた条です。一つは、本当は自分のためなのに、人のためのように見せかけること。これは偽善であり、してはならないと一斎は戒めます。もう一つは、本当に人のためを思っているのに、自分の利益のためだと疑われかねない場合。このときは、疑われるのを恐れてやめてはいけないと言います。大切なのは見かけではなく、実際の動機だということです。組織の中では、人のためになる提案でも、自分の手柄のためだと思われるのを気にして口をつぐんでしまうことがあります。疑いを避けることより、なすべきことをなすほうが重い。判断に迷ったときの一つの基準を示す条です。
この章句が説くこと
動機偽善誠嫌疑公私
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