呻吟語 / 内篇・談道・自然・當然・不可不然・不敢不然
說自然是第一等話,無所為而為;說當然是第二等話,性分之所當盡,職分之所當為;說不可不然是第三等話,是非毀譽是已;說不敢不然是第四等話,利害禍福是已。
新字:説自然是第一等話,無所為而為;説当然是第二等話,性分之所当尽,職分之所当為;説不可不然是第三等話,是非毀誉是已;説不敢不然是第四等話,利害禍福是已。
書き下し
自然と說ふは是れ第一等の話、為す所無くして為すなり。當然と說ふは是れ第二等の話、性分の當に盡くすべき所、職分の當に為すべき所なり。不可不然と說ふは是れ第三等の話、是非毀譽是れのみ。不敢不然と說ふは是れ第四等の話、利害禍福是れのみ。
現代語訳
自然にそうなると言うのは第一等の話で、何かのためにするのではなく、そうするというものです。当然そうすべきだと言うのは第二等の話で、人としての分、役目としての分を尽くすというものです。そうしないわけにいかないと言うのは第三等の話で、正しさや世間の評判が理由です。そうしないと恐ろしいと言うのは第四等の話で、損得や禍福が理由です。
解説
同じ善い行いを、動機の高さで四段に分けます。自然、当然、そうせざるを得ない、そうしないと怖い。下の二つは外から来る理由で、評判と損得です。注目したいのは、四等でも行いそのものは正しいという点で、呂坤は行動ではなく動機を測っています。自分がどの段で動いているかを問われると、たいていは三等か四等にいると気づかされる一段です。
この章句が説くこと
動機自然当然損得評判
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