翁問答 / 改訂翁問答丁亥春
人の生付さまざまなれば文藝は極て器用にして心法の取入は無下に無器用なる人あり、此の類の人多分俗儒となれり、又文藝は無下に無器用にして、心法の取入は極て器用なる人あり、かくの如くなる人、よき先覺に從ひ聖經賢傳の講明を聞時は、文藝無器用なれば文學訓詁をおぼゆる事はならざれども、心法のとりいりは器用なるによつて、必聖經賢傳の大意主意をよく聞とりて、其明德を明かにし君子となれり、かくあれば一文不通にても上々の學者なり、いかんとなれば文藝は道を求る筌なり、魚をうれば筌は無用のものなり。
新字:人の生付さまざまなれば文芸は極て器用にして心法の取入は無下に無器用なる人あり、此の類の人多分俗儒となれり、又文芸は無下に無器用にして、心法の取入は極て器用なる人あり、かくの如くなる人、よき先覚に従ひ聖経賢伝の講明を聞時は、文芸無器用なれば文学訓詁をおぼゆる事はならざれども、心法のとりいりは器用なるによつて、必聖経賢伝の大意主意をよく聞とりて、其明徳を明かにし君子となれり、かくあれば一文不通にても上々の学者なり、いかんとなれば文芸は道を求る筌なり、魚をうれば筌は無用のものなり。
書き下し
人の生付さまざまなれば文芸は極て器用にして心法の取入は無下に無器用なる人あり、此の類の人多分俗儒となれり、又文芸は無下に無器用にして、心法の取入は極て器用なる人あり、かくの如くなる人、よき先覚に従ひ聖経賢伝の講明を聞時は、文芸無器用なれば文学訓詁をおぼゆる事はならざれども、心法のとりいりは器用なるによつて、必聖経賢伝の大意主意をよく聞とりて、其明徳を明かにし君子となれり、かくあれば一文不通にても上々の学者なり、いかんとなれば文芸は道を求る筌なり、魚をうれば筌は無用のものなり。
現代語訳
人の生まれつきはさまざまであるから、文芸はきわめて器用で、心法の取り入れはまったく不器用な人がいる。このたぐいの人は多く俗儒となる。また文芸はまったく不器用で、心法の取り入れはきわめて器用な人がいる。このような人は、よい先覚に従って聖経賢伝の講義を聞くときは、文芸が不器用なので文学の訓詁を覚えることはできないけれども、心法の取り入れは器用なので、必ず聖経賢伝の大意・主意をよく聞き取って、その明徳を明らかにし君子となる。こうであれば、一文不通でも上々の学者である。なぜなら、文芸は道を求めるための筌(魚を捕る道具)である。魚を得れば筌は無用のものである。
解説
この章句が説くこと
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人物志・體別夫れ學は材を成す所以なり、疏は情を推す所以なり。偏材の性は、移轉すべからず。
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説苑・建本子思曰わく、学は才を益す所以なり、礪は刃を致す所以なり。吾嘗て幽処して深く思うも、学の速やかなるに若かず。吾嘗て跂ちて望むも、高きに登りて博く見るに若かず。故に風に順いて呼べば、声疾しきを加えざれども聞く者衆し。丘に登りて招けば、臂長きを加えざれども見る者遠し。故に魚は水に乗り、鳥は風に乗り、草木は時に乗る。
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