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翁問答 / 改訂翁問答丁亥春

問曰、一文不通にても仁義の明德明かなる人あるべしとならば、聖人以下の人も、學問なくして明德を明かにすることなり申すべきや。答曰、それもはや文藝を學問とあやまりたる習心より起る疑なり、後學の先覺にしたがひて、性命の道を學び問ふを學問の實義とす、文學は只その一品なり、されば文學なき大昔には、もとより讀べき書物なければ、只聖人の言行を手本とし學問せしなり、世の末になりて、學問の本義を取失ふべききざしあるによつて賢聖これを憂ひて其道をものゝ本にしるして、學問の鏡を定め給ひてより此かた、書物をよむを學問の初門とするなり、

新字:問曰、一文不通にても仁義の明徳明かなる人あるべしとならば、聖人以下の人も、学問なくして明徳を明かにすることなり申すべきや。答曰、それもはや文芸を学問とあやまりたる習心より起る疑なり、後学の先覚にしたがひて、性命の道を学び問ふを学問の実義とす、文学は只その一品なり、されば文学なき大昔には、もとより読べき書物なければ、只聖人の言行を手本とし学問せしなり、世の末になりて、学問の本義を取失ふべききざしあるによつて賢聖これを憂ひて其道をものゝ本にしるして、学問の鏡を定め給ひてより此かた、書物をよむを学問の初門とするなり、

書き下し

問曰、一文不通にても仁義の明徳明かなる人あるべしとならば、聖人以下の人も、学問なくして明徳を明かにすることなり申すべきや。答曰、それもはや文芸を学問とあやまりたる習心より起る疑なり、後学の先覚にしたがひて、性命の道を学び問ふを学問の実義とす、文学は只その一品なり、されば文学なき大昔には、もとより読べき書物なければ、只聖人の言行を手本とし学問せしなり、世の末になりて、学問の本義を取失ふべききざしあるによつて賢聖これを憂ひて其道をものゝ本にしるして、学問の鏡を定め給ひてより此かた、書物をよむを学問の初門とするなり、

現代語訳

問うて言う。「一文不通でも仁義の明徳の明らかな人があるはずだというなら、聖人より下の人も、学問なしで明徳を明らかにすることができるのか」。答えて言う。「それもやはり文芸を学問と誤った習いの心から起こる疑いである。後に学ぶ者が先に覚った者に従って、性命の道を学び問うことを学問の実義とする。文学はただその一品にすぎない。だから文学のない大昔には、もとより読むべき書物がないので、ただ聖人の言行を手本として学問したのである。世の末になって、学問の本義を取り失いそうな兆しがあったので、賢聖がこれを憂えてその道を書物に記し、学問の鏡を定められてから、書物を読むことを学問の入口とするようになったのである」。

解説

一文不通でも徳があればよいなら、学問はいらないのか、という鋭い問いである。藤樹は、学問とは書物を読むことではなく、先に道を覚った人に従って「性命の道」、すなわち人としての本性と天命のあり方を学び問うことだと定義し直す。文字のない大昔にも学問はあり、書物は後世に道が失われないよう聖賢が残した「鏡」であって、読書は入口にすぎない。学問の文字どおり「学び問う」ことが本義である。マニュアルや本だけでなく、尊敬できる先輩に直接学び問うことが、成長の本筋だという示唆として読める。

この章句が説くこと

学問先覚性命文学実義明徳

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