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翁問答 / 改訂翁問答丁亥春

若しまた世間の學者人ごとに凡情の習態をあらひすて、學問第一義の明德を明かにして、孝悌忠信のまことあらば親は子の學問せざるをなげき君は臣下の學術なきをきらひ、學問をそしる口なきのみならず、士は云に及ばず、農人商人に至るまで、學問なくてはかなはぬ事なりともてはやすべし、さあらば世俗の學問をそしるにあらず、學者のそしるなり、學者のまねく所なり、しかるを我も人も學問するものゝくせにて、世俗の學問をそしるを聞ては、或は腹を立、或は笑ひおとしめて、そのあやまりの己より出る事をわきまへず、是をもつて見れば、學問の實義に志なき學者は、世俗の學問をそしるよりも、一きはまさりたる聖門のつみ人なるべし。

新字:若しまた世間の学者人ごとに凡情の習態をあらひすて、学問第一義の明徳を明かにして、孝悌忠信のまことあらば親は子の学問せざるをなげき君は臣下の学術なきをきらひ、学問をそしる口なきのみならず、士は云に及ばず、農人商人に至るまで、学問なくてはかなはぬ事なりともてはやすべし、さあらば世俗の学問をそしるにあらず、学者のそしるなり、学者のまねく所なり、しかるを我も人も学問するものゝくせにて、世俗の学問をそしるを聞ては、或は腹を立、或は笑ひおとしめて、そのあやまりの己より出る事をわきまへず、是をもつて見れば、学問の実義に志なき学者は、世俗の学問をそしるよりも、一きはまさりたる聖門のつみ人なるべし。

書き下し

若しまた世間の学者人ごとに凡情の習態をあらひすて、学問第一義の明徳を明かにして、孝悌忠信のまことあらば親は子の学問せざるをなげき君は臣下の学術なきをきらひ、学問をそしる口なきのみならず、士は云に及ばず、農人商人に至るまで、学問なくてはかなはぬ事なりともてはやすべし、さあらば世俗の学問をそしるにあらず、学者のそしるなり、学者のまねく所なり、しかるを我も人も学問するものゝくせにて、世俗の学問をそしるを聞ては、或は腹を立、或は笑ひおとしめて、そのあやまりの己より出る事をわきまへず、是をもつて見れば、学問の実義に志なき学者は、世俗の学問をそしるよりも、一きはまさりたる聖門のつみ人なるべし。

現代語訳

もしまた世間の学者が一人ひとり凡情の習いを洗い捨て、学問の第一義である明徳を明らかにして、孝悌忠信のまことがあれば、親は子が学問しないことを嘆き、君は臣下に学術がないことを嫌い、学問をそしる口がなくなるばかりか、武士は言うに及ばず、農民や商人に至るまで、学問がなくてはかなわぬことだともてはやすであろう。そうであれば、世俗が学問をそしるのではなく、学者がそしらせるのであり、学者の招くところである。ところが我も人も、学問する者の癖として、世俗が学問をそしるのを聞いては、あるいは腹を立て、あるいは笑い見下して、その誤りが自分から出ていることをわきまえない。これをもって見れば、学問の実義に志のない学者は、世俗が学問をそしるよりも、ひときわまさった聖門の罪人であろう。

解説

学ぶ人が明徳を明らかにし、孝悌忠信のまことを行えば、世の中は学問を求めるようになり、武士から農民・商人まで学問を必要とするだろうと藤樹は言う。だから学問がそしられるのは学者が招いたことである。それなのに学者は批判に腹を立てたり見下したりして、原因が自分にあることに気づかない。そういう学者こそ聖門の罪人だという結びは厳しい。近江の小川村で身分を問わず人々に教えた藤樹ならではの視点である。批判を受けたときにまず自分を省みる、それが信頼を取り戻す一番の近道である。

この章句が説くこと

学問明徳孝悌忠信反省実義修養

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