大和俗訓 / 巻之二・為学下
一俗人の學問をそしるは、學者書を讀んでも道を行はずして、かへりて高慢にして自らほこり、人をあなどりて心ざま惡しくなり行き、學びたる益なきが故なり。學者つゝしみて身をかへりみるべし。書を讀むによつて、却てかくの如くなる小人となるはくちをし。
新字:一俗人の学問をそしるは、学者書を読んでも道を行はずして、かへりて高慢にして自らほこり、人をあなどりて心ざま悪しくなり行き、学びたる益なきが故なり。学者つゝしみて身をかへりみるべし。書を読むによつて、却てかくの如くなる小人となるはくちをし。
書き下し
一俗人の学問をそしるは、学者書を読んでも道を行はずして、かへりて高慢にして自らほこり、人をあなどりて心ざま悪しくなり行き、学びたる益なきが故なり。学者つつしみて身をかへりみるべし。書を読むによつて、却てかくの如くなる小人となるはくちをし。
現代語訳
俗人が学問をそしるのは、学者が書を読んでも道を行わず、かえって高慢になって自ら誇り、人を侮って心の持ち方が悪くなっていき、学んだ益がないからです。学ぶ者は慎んで我が身を振り返るべきです。書を読むことによって、かえってこのような小人になるのは残念なことです。
解説
前の条で学問をそしる人を憐れめと言った益軒は、ここで矛先を学ぶ側に向けます。俗人が学問を悪く言うのは、学者自身が高慢で行いが悪いからでもある、と自省を促すのです。相手を責めるだけで終わらず、自分の側の原因も見るという姿勢は、益軒の公平さをよく表しています。専門家や高学歴の人が反感を買うときも、多くは知識そのものではなく態度が原因です。学ぶ者こそ謙虚であれという戒めです。
この章句が説くこと
高慢学問謙反省小人
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