翁問答 / 改訂翁問答丁亥春
問曰、學問の本意世に明かならざる事、天下の大不幸なる事いかゞ。答曰、學問は明德を明にするを主意頭腦とす、明德は我人の形の根本なり主人たり、此ぬしくらければ主君のうつけて下人のみだりがはしきごとく、其人の思ふところおこなふ事、みな天理にそむき、ひとへに名利のよくふかく親をも親とせず、君をも君とせず、たゞ一向におのれを利し、人を損ずる所に利發才覺を用ひ、相あらそひ相うばひ、甚しき時は主親をも弑す惡逆をなせり、人間の萬苦は明德のくらきよりおこれり、天下の兵亂も又明德のくらきよりおこれり、これ天下の大不幸にあらずや、聖人是をあはれみ給ひ、明德を明かにする敎を立て、人の形あるほどのものには學問をすゝめたまへり、四書五經にのする所みな是なり。
新字:問曰、学問の本意世に明かならざる事、天下の大不幸なる事いかゞ。答曰、学問は明徳を明にするを主意頭脳とす、明徳は我人の形の根本なり主人たり、此ぬしくらければ主君のうつけて下人のみだりがはしきごとく、其人の思ふところおこなふ事、みな天理にそむき、ひとへに名利のよくふかく親をも親とせず、君をも君とせず、たゞ一向におのれを利し、人を損ずる所に利発才覚を用ひ、相あらそひ相うばひ、甚しき時は主親をも弑す悪逆をなせり、人間の万苦は明徳のくらきよりおこれり、天下の兵乱も又明徳のくらきよりおこれり、これ天下の大不幸にあらずや、聖人是をあはれみ給ひ、明徳を明かにする教を立て、人の形あるほどのものには学問をすゝめたまへり、四書五経にのする所みな是なり。
書き下し
問曰、学問の本意世に明かならざる事、天下の大不幸なる事いかゞ。答曰、学問は明徳を明にするを主意頭脳とす、明徳は我人の形の根本なり主人たり、此ぬしくらければ主君のうつけて下人のみだりがはしきごとく、其人の思ふところおこなふ事、みな天理にそむき、ひとへに名利のよくふかく親をも親とせず、君をも君とせず、たゞ一向におのれを利し、人を損ずる所に利発才覚を用ひ、相あらそひ相うばひ、甚しき時は主親をも弑す悪逆をなせり、人間の万苦は明徳のくらきよりおこれり、天下の兵乱も又明徳のくらきよりおこれり、これ天下の大不幸にあらずや、聖人是をあはれみ給ひ、明徳を明かにする教を立て、人の形あるほどのものには学問をすゝめたまへり、四書五経にのする所みな是なり。
現代語訳
問うて言う。「学問の本意が世に明らかでないことが、天下の大不幸であるとはどういうことか」。答えて言う。「学問は明徳を明らかにすることを主意・頭脳とする。明徳は自分にも人にも、その身の根本であり主人である。この主が暗ければ、主君がうつけて下人が乱れるように、その人の思うこと行うことはみな天理に背き、ひたすら名利の欲が深く、親をも親とせず、君をも君とせず、ただ一向に自分を利し人を損なうところに才覚を用い、互いに争い奪い合い、ひどいときは主や親をも殺す悪逆をなす。人間のあらゆる苦しみは明徳の暗いことから起こり、天下の兵乱もまた明徳の暗いことから起こる。これが天下の大不幸でなくて何であろう。聖人はこれをあわれまれて、明徳を明らかにする教えを立て、人の形あるほどの者には学問をお勧めになった。四書五経に載せるところはみなこれである」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『都鄙問答』卷之一・都鄙問答ノ段答ふ、厚き志し過分の至りなり。先づ今日教へをなす志しを語らん。孟子曰く、人の道有るや、飽食煖衣、逸居して教へ無ければ、則ち禽獣に近し。聖人之を憂ふること有り、契をして司徒たらしめ、教ふるに人倫を以てす。父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り、と。此の五つの者を能くするを学問の功とす。これにて古人の学と云ふ者を知るべし。論語学而の篇にも、大抵皆本を務むることを多くせり。人倫の大原は天に出でて、仁義礼智の良心よりなす。孟子又曰く、学問の道は他無し、其の放心を求むるのみ、と。此の心を知りて後に、聖人の行ひを見て法を取るべし。君の道を尽くし玉ふは堯にあり、孝の道を尽くし玉ふは舜にあり、臣の道を尽くし玉ふは周公にあり、学問の道を尽くし玉ふは大聖孔子なり。此れ皆孟子の所謂性のままにして、上下天地と流れを同じくす。
-
『都鄙問答』卷之一・都鄙問答ノ段多しと雖も亦奚を以て為さん、と。専対するは心なり。詩三百を誦するは文なり。和漢ともに小事を見て、大事を見る者少なし。陋しいかな文学に伐る。文芸も道の助けとなれば、舎つることにはあらず。愚、文学拙きを以て悔ゆといへども、民間に産まれ、家貧しくして学ぶべき暇なく、四十余の比より此の道に志す。如何して文学までに至るべき。只恥づべきは、何方へ一簡の饋るとも、文字に於いて誤ることぞ多かるべし。見る人これを用捨有らんことを願ふ。
-
『都鄙問答』卷之四・學者ノ行狀心得難キヲ問ノ段答ふ、いかにも書物を読むことにて候。然れども書物を読みて、書の心を知らざれば、学問とはいはず。聖人の書は、自ら心を含め玉ふ。其心を知るを学問と云ふ。然るに文字ばかりを知るは、一芸なるゆへに、文字芸者と云ふ。曰く、書を読むは同じくして、汝今分けて二つとするは、証あることに候や。
-
『翁問答』序志学の年より、心に守り身に行べき、道理を求め得まく思ひ立て、禅門教門の釈教を、年経て学ふと雖、其言詖遁にして其道偏僻なり、其法亦人倫日用の受用に便りあらざる故に儒門に入て四書五経の真教を受て、切磋琢磨を励ませ共、三隅を反せざる程の下愚なれば、開悟の自得難及、既に道に立可き年をも空しく打過ぬ、愚者の誤る習ひなれば性の拙き事を忘て、却て師範の其人に非ざるかと疑ひ、明哲の先学もがなと寤寐に忘れず、
-
『翁問答』序隣里に天君とて逸民とおぼしき老翁ありけると友の語りし儘訪ひたづねて、杖を取て見へける、我眼力伯楽ならねば、騏駑の分ちは知らざれ共、威儀いとけだかく、人相和厚にして謙遜なれば、俗儒の意気たくましく、口気たかぶるに違ひ心ならず慕しく敬れて暇の日は常に傍にと雖、心に問べき貯へなければ、只山賤の花に向へるに異らず門下に体充とて俊秀なる人有て、平日疑問論難止む時なし、傍にて聞と雖、我心の及ばぬ際は記憶すること不能、心の粗通する事あれば、退て倭語にて書付け遺忘に備へぬ、斯くして年を積りぬれば、箇条も数多になり、心に守り身に行べき道理も少し、開悟に似たる様にあれば、若し又我如きの愚者あらば、万一工夫の助けにも成る可きかと改めうつして、翁問答と題号して、巾笥にかくし置ける、言いやしく理きこへがたけれ共、有道に付て正す可き程の事ならねば、只愚者の書付けたる儘にして、翁の本意に違ふ処多くあるべし、若読人あらば、辞にて志をそこなはずば、我人の大幸たる可き乎。
-
『翁問答』下卷之本体充問曰、世俗のとりさたに、学問は物よみ坊主衆あるひは出家などのわざにして、士のしわざにあらず、学問すぎたる人はぬるくて武用の役に立がたしなど云て、士のうちに学問する人あれば却てそしりぬ、箇様のあやまりは何れの迷ひよりおこりたる事にておはしまし候や。師の曰、それは贋の学問はかり時めきて風俗あしく、衆生の心汚濁にそまりて、書物をよむばかりを学問と思ふより迷ひたる評判なり、それ学問は心のけがれを清め身のおこなひをよくするを本実とす、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る