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翁問答 / 改訂翁問答丙戌冬

齊人と魯人と郊に戰ふとき、魯軍の右手の大將は冉求也、管周父御たり、樊遲右たり、すでに戰合て魯の左手敗軍しぬれども、右手は少もしりそかず、樊遲の謀を用ひ、冉求自身鑓を入て齊の軍を敗り、甲首八十を得たるゆへに、終に魯國の勝軍に爲りぬ、其後季康子冉求に問けるは、今度の軍功たぐひなき事なり、軍法を學び得てかくありしや、但し又生れ付たる器用にやと冉求答ていはく、生れながらにしてするに非ず、孔子に學び得たりといへり、季康子是に依て幣を以て孔子をむかへ、孔子魯國に歸り給ひぬ。師の曰、冉求若季氏が大將となりめされずば、此軍功あるべからず、此軍功なくば、孔子の文武兼備り軍法に長じ給ふ事を、季子うたがひしる事能はざるべし、聖人のいます時さへかくの如くなれば、後世の文武をわけて二つにするあやまりもさのみとがむまじき事にや。

新字:斉人と魯人と郊に戦ふとき、魯軍の右手の大将は冉求也、管周父御たり、樊遅右たり、すでに戦合て魯の左手敗軍しぬれども、右手は少もしりそかず、樊遅の謀を用ひ、冉求自身鑓を入て斉の軍を敗り、甲首八十を得たるゆへに、終に魯国の勝軍に為りぬ、其後季康子冉求に問けるは、今度の軍功たぐひなき事なり、軍法を学び得てかくありしや、但し又生れ付たる器用にやと冉求答ていはく、生れながらにしてするに非ず、孔子に学び得たりといへり、季康子是に依て幣を以て孔子をむかへ、孔子魯国に帰り給ひぬ。師の曰、冉求若季氏が大将となりめされずば、此軍功あるべからず、此軍功なくば、孔子の文武兼備り軍法に長じ給ふ事を、季子うたがひしる事能はざるべし、聖人のいます時さへかくの如くなれば、後世の文武をわけて二つにするあやまりもさのみとがむまじき事にや。

書き下し

斉人と魯人と郊に戦ふとき、魯軍の右手の大将は冉求也、管周父御たり、樊遅右たり、すでに戦合て魯の左手敗軍しぬれども、右手は少もしりそかず、樊遅の謀を用ひ、冉求自身鑓を入て斉の軍を敗り、甲首八十を得たるゆへに、終に魯国の勝軍に為りぬ、其後季康子冉求に問けるは、今度の軍功たぐひなき事なり、軍法を学び得てかくありしや、但し又生れ付たる器用にやと冉求答ていはく、生れながらにしてするに非ず、孔子に学び得たりといへり、季康子是に依て幣を以て孔子をむかへ、孔子魯国に帰り給ひぬ。師の曰、冉求若季氏が大将となりめされずば、此軍功あるべからず、此軍功なくば、孔子の文武兼備り軍法に長じ給ふ事を、季子うたがひしる事能はざるべし、聖人のいます時さへかくの如くなれば、後世の文武をわけて二つにするあやまりもさのみとがむまじき事にや。

現代語訳

斉の人と魯の人が郊外で戦ったとき、魯軍の右翼の大将は冉求で、管周父が御者、樊遅が車右であった。戦いが始まって魯の左翼は敗れたが、右翼は少しも退かず、樊遅の謀を用い、冉求みずから槍を入れて斉軍を破り、甲首八十を得たので、ついに魯国の勝ち戦となった。その後、季康子が冉求に問うには、「このたびの軍功は比類ないものである。軍法を学んでこのようにできたのか、それとも生まれつきの器用か」。冉求は答えて言った。「生まれながらにしてできたのではありません。孔子に学んで得たのです」。季康子はこれによって礼物をもって孔子を迎え、孔子は魯国に帰られた。師は言った。「冉求がもし季氏の大将とならなかったら、この軍功はなかったであろう。この軍功がなければ、孔子が文武を兼ね備え軍法に長じておられることを、季氏はうかがい知ることができなかったであろう。聖人のおられた時でさえこのようであるから、後世の人が文と武を分けて二つにする誤りも、それほど咎めるべきではないかもしれない」。

解説

春秋左氏伝哀公十一年と史記孔子世家に見える、魯の冉求が斉軍を破った故事である。冉求は孔子に学んだと答え、それがきっかけで孔子は長い放浪を終えて魯に帰った。藤樹はこの話から、孔子が文武兼備であったことを示し、文と武を別物とする世間の誤りを正そうとする。翁問答の上卷でも文武一体を論じていたが、改訂ではこの故事で具体的に補った。ただし聖人の時代でも軍功がなければ気づかれなかったのだから、後世の誤解も無理はないと、藤樹は寛やかに結ぶ。実力は機会を得て初めて人に知られる。日々の備えが、いざという時の成果を通して師や組織の真価を示す。

この章句が説くこと

文武軍法冉求孔子学問実践

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