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翁問答 / 改訂翁問答丙戌冬

かくの如きの滿心は天地鬼神の捨給ふところなる故に、其心だて行儀いなものになりゆき人も亦是を惡む、是を暗所に魔を來すといへり、すでに暗所に魔を來しぬれば何事も異風を好み、人をばいける虫とも思はず、天下に我をこすべき者なしと、人もゆるさぬ高滿を鼻にあて、親おやかたのぐちなるをさげしみ。友達をあなどり、かりそめにも己を是とし人を非とす、或は世間のまじはりをいとひ、獨り居ることを好み或は甚はだしきときは氣のちがふかたもありと見えたり、かくの如きの人學問せざるかたにもあまたありといへども、とがを歸すべきかたなければ、只何となくそしるばかりなり、若學者にかくの如き人あれば學問にとがを歸して滿心のたゝりたる事を辨へず、おろかなるかな、なげかしきかな、

新字:かくの如きの満心は天地鬼神の捨給ふところなる故に、其心だて行儀いなものになりゆき人も亦是を悪む、是を暗所に魔を来すといへり、すでに暗所に魔を来しぬれば何事も異風を好み、人をばいける虫とも思はず、天下に我をこすべき者なしと、人もゆるさぬ高満を鼻にあて、親おやかたのぐちなるをさげしみ。友達をあなどり、かりそめにも己を是とし人を非とす、或は世間のまじはりをいとひ、独り居ることを好み或は甚はだしきときは気のちがふかたもありと見えたり、かくの如きの人学問せざるかたにもあまたありといへども、とがを帰すべきかたなければ、只何となくそしるばかりなり、若学者にかくの如き人あれば学問にとがを帰して満心のたゝりたる事を弁へず、おろかなるかな、なげかしきかな、

書き下し

かくの如きの満心は天地鬼神の捨給ふところなる故に、其心だて行儀いなものになりゆき人も亦是を悪む、是を暗所に魔を来すといへり、すでに暗所に魔を来しぬれば何事も異風を好み、人をばいける虫とも思はず、天下に我をこすべき者なしと、人もゆるさぬ高満を鼻にあて、親おやかたのぐちなるをさげしみ。友達をあなどり、かりそめにも己を是とし人を非とす、或は世間のまじはりをいとひ、独り居ることを好み或は甚はだしきときは気のちがふかたもありと見えたり、かくの如きの人学問せざるかたにもあまたありといへども、とがを帰すべきかたなければ、只何となくそしるばかりなり、若学者にかくの如き人あれば学問にとがを帰して満心のたゝりたる事を弁へず、おろかなるかな、なげかしきかな、

現代語訳

このような満心は天地鬼神の捨てるところであるから、その心立てや行儀は妙なふうになっていき、人もまたこれを憎む。これを「暗所に魔を来す」という。すでに暗所に魔を来せば、何事も異風を好み、人を生きている虫とも思わず、天下に自分を超える者はないと、人も許さぬ高慢を鼻にかけ、親や主人の愚かさをさげすみ、友達を侮り、かりそめにも自分を是とし人を非とする。あるいは世間の交わりを嫌って独りでいることを好み、ひどいときは気の違うこともあると見える。このような人は学問しない人の中にも多くいるが、咎を帰すべきところがないので、ただ何となくそしるだけである。もし学者にこのような人があれば、学問に咎を帰して、満心の祟りであることをわきまえない。愚かなことよ、嘆かわしいことよ。

解説

満心が進むとどうなるかを、藤樹は「暗所に魔を来す」と表現し、具体的に描く。奇をてらい、人を虫けらのように見下し、親や主人の欠点をあげつらい、交わりを避けて孤立し、ついには心の平衡を失う。そして世間はその姿を見て学問のせいにするが、本当の原因は学問ではなく慢心だという。熱心な学び手が周囲から浮いてしまう現象を、藤樹は冷静に分析している。勉強熱心な人が職場で孤立したり、他人を見下したりするとき、問題は知識ではなく心の向きにある。学ぶ人こそ、周囲との和を自分の成長の指標にしたい。

この章句が説くこと

満心高慢学問明徳心修養

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