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翁問答 / 下卷之末之末

體充曰、身體髮膚をそこないやぶらざるが孝行に御座候はゞ、軍陣にてきずを被ぶりうち死するは不孝にて候はんや。師の曰、それは大なる心得そこなひにて候、不義無道なる事にてそこないやぶるが不孝なりと云義なり、孝經に身體髮膚受之父母不敢毀傷孝之始也と示したまふ、此の毀傷は血肉の身體髮膚をそこないやぶることにはあらす、孝德をそこないやぶることなり、害仁とのたまふ害の字の意なり、血肉の身體髮膚のことにはあらず、孝德の形體の事なり、仁者人也とのたまふ、人の字の意、形色天性也、惟聖人然後可以踐形と、發明めされたる形色の字の意なり、

新字:体充曰、身体髪膚をそこないやぶらざるが孝行に御座候はゞ、軍陣にてきずを被ぶりうち死するは不孝にて候はんや。師の曰、それは大なる心得そこなひにて候、不義無道なる事にてそこないやぶるが不孝なりと云義なり、孝経に身体髪膚受之父母不敢毀傷孝之始也と示したまふ、此の毀傷は血肉の身体髪膚をそこないやぶることにはあらす、孝徳をそこないやぶることなり、害仁とのたまふ害の字の意なり、血肉の身体髪膚のことにはあらず、孝徳の形体の事なり、仁者人也とのたまふ、人の字の意、形色天性也、惟聖人然後可以践形と、発明めされたる形色の字の意なり、

書き下し

体充曰、身体髪膚をそこないやぶらざるが孝行に御座候はゞ、軍陣にてきずを被ぶりうち死するは不孝にて候はんや。師の曰、それは大なる心得そこなひにて候、不義無道なる事にてそこないやぶるが不孝なりと云義なり、孝経に身体髪膚は之を父母に受く、敢へて毀傷せざるは孝の始なりと示したまふ、此の毀傷は血肉の身体髪膚をそこないやぶることにはあらす、孝徳をそこないやぶることなり、害仁とのたまふ害の字の意なり、血肉の身体髪膚のことにはあらず、孝徳の形体の事なり、仁者人也とのたまふ、人の字の意、形色は天性なり、惟だ聖人にして然る後に以て形を践むべしと、発明めされたる形色の字の意なり、

現代語訳

體充が言った。「身体髪膚を損ない破らないことが孝行でございますなら、戦陣で傷を負い討ち死にするのは不孝でございましょうか」。師は言った。「それは大きな心得違いである。不義無道なことで損ない破るのが不孝だという意味である。孝経に『身体髪膚はこれを父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり』とお示しになった、この毀傷とは血肉の身体髪膚を損ない破ることではなく、孝徳を損ない破ることである。論語の『仁を害する』という害の字の意味であり、血肉の身体髪膚のことではなく、孝徳の形体のことである。『仁とは人なり』とおっしゃる、その人の字の意味であり、孟子が『形色は天性なり、ただ聖人にして然る後に以て形を践むべし』と明らかにされた、形色の字の意味である」。

解説

前段で「身体髪膚」を説いたのを受け、體充は鋭く問う。では戦で傷つき死ぬ武士は不孝なのか。藤樹は、毀傷とは肉体の損傷ではなく孝徳の損傷であると答える。論語衛霊公篇の「害仁」、中庸の「仁者人也」、孟子尽心上の「形色天性也」を重ねて、身体とは天性の徳が形をとったものだという解釈を示す。武士の読者が多かった時代に、孝と忠義・武勇の矛盾を解く大事な一節である。規則の文字面だけを守って本旨を外す誤りは今も多い。決まりの「なぜ」に立ち返る姿勢が求められる。

この章句が説くこと

孝毀傷孝徳仁身体髪膚天性

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