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翁問答 / 下卷之末之末

體充問曰、仙術を學ぶ人は、長生不死の益あり、佛道を修行する人は、成佛得脫の益ありと承及候儒道を學候ても左樣なる身後の益も御座候や。師の曰、さやうの疑も異端の說を聞あやまりておこることにて候、孝經易經をよく悟ぬれば、生前死後のことはり掌を指ごとく分明なれば、とかうの議論に及ばぬことなり、しかれども今時の人は、多分此疑あればしばらく仙佛の道によつてそのまよいをとき候べし、仙家の長生不死の術も、佛家の成佛得脫の修行も皆畢竟は一心の工夫なり、仙家には修心煉性を宗旨とす、佛家には明心見性を宗旨とす其工夫の十分成就する所の心性を長生不死と云、成佛得脫と云なり、二氏ともに元氣の靈覺を心性の端的として、元神の妙理をさとり得ず、しかる故にその見性成道中行の君子より一位下なり、

新字:体充問曰、仙術を学ぶ人は、長生不死の益あり、仏道を修行する人は、成仏得脱の益ありと承及候儒道を学候ても左様なる身後の益も御座候や。師の曰、さやうの疑も異端の説を聞あやまりておこることにて候、孝経易経をよく悟ぬれば、生前死後のことはり掌を指ごとく分明なれば、とかうの議論に及ばぬことなり、しかれども今時の人は、多分此疑あればしばらく仙仏の道によつてそのまよいをとき候べし、仙家の長生不死の術も、仏家の成仏得脱の修行も皆畢竟は一心の工夫なり、仙家には修心煉性を宗旨とす、仏家には明心見性を宗旨とす其工夫の十分成就する所の心性を長生不死と云、成仏得脱と云なり、二氏ともに元気の霊覚を心性の端的として、元神の妙理をさとり得ず、しかる故にその見性成道中行の君子より一位下なり、

書き下し

体充問曰、仙術を学ぶ人は、長生不死の益あり、仏道を修行する人は、成仏得脱の益ありと承及候儒道を学候ても左様なる身後の益も御座候や。師の曰、さやうの疑も異端の説を聞あやまりておこることにて候、孝経易経をよく悟ぬれば、生前死後のことはり掌を指ごとく分明なれば、とかうの議論に及ばぬことなり、しかれども今時の人は、多分此疑あればしばらく仙仏の道によつてそのまよいをとき候べし、仙家の長生不死の術も、仏家の成仏得脱の修行も皆畢竟は一心の工夫なり、仙家には修心煉性を宗旨とす、仏家には明心見性を宗旨とす其工夫の十分成就する所の心性を長生不死と云、成仏得脱と云なり、二氏ともに元気の霊覚を心性の端的として、元神の妙理をさとり得ず、しかる故にその見性成道中行の君子より一位下なり、

現代語訳

體充が問うて言った。「仙術を学ぶ人には長生不死の益があり、仏道を修行する人には成仏得脱の益があると承っております。儒道を学んでも、そのような死後の益がございますか」。師は言った。「そうした疑いも、異端の説を聞き誤って起こることである。孝経と易経をよく悟れば、生前死後の道理は手のひらを指すように明らかなので、あれこれの議論には及ばない。しかし今の人には多くこの疑いがあるので、しばらく仙仏の道に即してその迷いを解こう。仙家の長生不死の術も、仏家の成仏得脱の修行も、結局はみな一心の工夫である。仙家は心を修め性を練ることを宗旨とし、仏家は心を明らかにし性を見ることを宗旨とする。その工夫が十分に成就したところの心性を、長生不死といい、成仏得脱というのである。二氏はともに元気の霊覚を心性の要としていて、元神の妙理を悟り得ていない。それゆえその見性成道は、中行の君子より一段下である」。

解説

死後の救いを説く道教と仏教に対し、儒学は何を約束するのかという問いである。藤樹はまず、仙術も仏道も結局は「一心の工夫」だと見抜き、長生不死や成仏はその工夫が成った心の状態の呼び名にすぎないと整理する。そのうえで、二氏は気の働きとしての霊妙な覚りにとどまり、より根源的な「元神」の理に届いていないと評価する。宗教どうしの優劣論に見えるが、要は「ご利益」ではなく心の練り方で道を比べよという視点である。資格や肩書という外の成果より、日々の工夫で身についた心の質を問う姿勢は、学び直しを考える社会人にも通じる。

この章句が説くこと

仙仏心工夫心性見性学問

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