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翁問答 / 下卷之末之末

體充曰、楚女の寵愛をもとめて餓死したると云ことは、何たることにて候や。師の曰、それは寓言の故事なりむかし大唐楚國の主こしのほそき女を寵愛めされたれば、禁中のこしのふとき宮女、楚王のおもひつき給ふまじき事をかなしび、食物をくはずしてやせなば、腰のほそくなるべきかと斷食してかつえ死したると云ふことなり、世間の名をこのみ譽をもとむる人を見るに、その時代の天子諸侯のこのみ給ふこと、世俗のほめてもてはやす事なれば、是非眞妄のへらびなく、その時に相應する樣に心をもち色をよくし、言を巧にして義理不義をわきまへず、一向に世人の譽をもとめて德性の養をたちすて、混沌の死する事をしらざること、恰も楚女の寵愛をもとめて、餓死したるに似たる故に、寓言の故事をかりて喩たり、心學に志ある人ははぢ戒むべきなり。

新字:体充曰、楚女の寵愛をもとめて餓死したると云ことは、何たることにて候や。師の曰、それは寓言の故事なりむかし大唐楚国の主こしのほそき女を寵愛めされたれば、禁中のこしのふとき宮女、楚王のおもひつき給ふまじき事をかなしび、食物をくはずしてやせなば、腰のほそくなるべきかと断食してかつえ死したると云ふことなり、世間の名をこのみ誉をもとむる人を見るに、その時代の天子諸侯のこのみ給ふこと、世俗のほめてもてはやす事なれば、是非真妄のへらびなく、その時に相応する様に心をもち色をよくし、言を巧にして義理不義をわきまへず、一向に世人の誉をもとめて徳性の養をたちすて、混沌の死する事をしらざること、恰も楚女の寵愛をもとめて、餓死したるに似たる故に、寓言の故事をかりて喩たり、心学に志ある人ははぢ戒むべきなり。

書き下し

体充曰、楚女の寵愛をもとめて餓死したると云ことは、何たることにて候や。師の曰、それは寓言の故事なりむかし大唐楚国の主こしのほそき女を寵愛めされたれば、禁中のこしのふとき宮女、楚王のおもひつき給ふまじき事をかなしび、食物をくはずしてやせなば、腰のほそくなるべきかと断食してかつえ死したると云ふことなり、世間の名をこのみ誉をもとむる人を見るに、その時代の天子諸侯のこのみ給ふこと、世俗のほめてもてはやす事なれば、是非真妄のへらびなく、その時に相応する様に心をもち色をよくし、言を巧にして義理不義をわきまへず、一向に世人の誉をもとめて徳性の養をたちすて、混沌の死する事をしらざること、恰も楚女の寵愛をもとめて、餓死したるに似たる故に、寓言の故事をかりて喩たり、心学に志ある人ははぢ戒むべきなり。

現代語訳

體充が言う。「楚女が寵愛を求めて餓死したというのは、どういうことか。」師が言う。「それは寓言の故事である。昔、中国の楚の国の王が腰の細い女を寵愛なさったので、宮中の腰の太い宮女たちは、楚王に気に入られることはないだろうと悲しみ、食物を食べずに痩せれば腰が細くなるだろうかと断食して、飢え死にしたということである。世間で名を好み誉れを求める人を見ると、その時代の天子や諸侯の好まれること、世俗が褒めもてはやすことであれば、是非や真妄の区別もなく、その時に相応するように心を持ち、顔色をよくし、言葉を巧みにして、義理不義を弁えず、ひたすら世人の誉れを求めて徳性の養いを断ち捨て、混沌が死ぬことを知らない。それがちょうど楚女が寵愛を求めて餓死したのに似ているので、寓言の故事を借りてたとえたのである。心学に志す人は恥じて戒めるべきである。」

解説

「楚王細腰を好み、宮中に餓死多し」の故事を解説する段である。楚の霊王が細い腰を好んだので、宮女たちが食を断って痩せようとし、餓死者が出たという話で、『墨子』などに見える。藤樹は、時の権力者や世間の好みに合わせて心も顔色も言葉も変え、義理を顧みず評判を追う人をこの宮女にたとえる。混沌が死ぬとは『荘子』応帝王篇の、目鼻の穴をうがたれて死んだ混沌の寓話で、本来の天性を失うことを指す。上司や市場の好みに迎合し続けると、自分の本来の力をすり減らしてしまう。

この章句が説くこと

名誉迎合徳性心学寓言天性

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