翁問答 / 下卷之末之末
名の欲をすつるには、先よせひ意虛夸の念をかちさるべし、かくのごとく吟味體認して名の欲をすつることは、根本天理の眞樂をもとめ、氣隨をわすれ作法を正くせんためなれば、心學に志あるものは、名をすつるほど氣隨のすごりなく、作法よくなりて、狂風にもいらず市井の風にも入らず、君子中行の風に入て君子のほまれ求めずして至ものなり、名利の欲習染る心、間思雜慮を一念の微に省察して、獨を愼てのぞきする事、第一の要法なり。
新字:名の欲をすつるには、先よせひ意虚夸の念をかちさるべし、かくのごとく吟味体認して名の欲をすつることは、根本天理の真楽をもとめ、気随をわすれ作法を正くせんためなれば、心学に志あるものは、名をすつるほど気随のすごりなく、作法よくなりて、狂風にもいらず市井の風にも入らず、君子中行の風に入て君子のほまれ求めずして至ものなり、名利の欲習染る心、間思雑慮を一念の微に省察して、独を慎てのぞきする事、第一の要法なり。
書き下し
名の欲をすつるには、先よせひ意虚夸の念をかちさるべし、かくのごとく吟味体認して名の欲をすつることは、根本天理の真楽をもとめ、気随をわすれ作法を正くせんためなれば、心学に志あるものは、名をすつるほど気随のすごりなく、作法よくなりて、狂風にもいらず市井の風にも入らず、君子中行の風に入て君子のほまれ求めずして至ものなり、名利の欲習染る心、間思雑慮を一念の微に省察して、独を慎てのぞきする事、第一の要法なり。
現代語訳
名の欲を捨てるには、まず人に見せようとする意や虚飾の念に克ち去るべきである。このように吟味し体認して名の欲を捨てることは、根本の天理の真の楽しみを求め、気ままを忘れ作法を正しくするためであるから、心学に志す者は、名を捨てるほど気ままが過ぎることがなく、作法がよくなって、狂者の風にも入らず市井の風にも入らず、君子中行の風に入って、君子の誉れは求めずして至るものである。名利の欲、習い染まった心、とりとめのない思いや雑念を、一念の微かなところで省察して、独りを慎んで除くことが、第一の要法である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『翁問答』下卷之末之末体充曰、先生の教を承届候へば利欲をすつることは成易く候はんが、名の欲をすてゝ世間の外聞をなにともおもはず候はゞ、気随になりて作法あしく候はんと存候、いかゞ。師の曰、よき不審にて候、名の欲は利欲にくらぶれば、一位ましていさぎよし、子細は名をこのむものは財宝をむさぶらず、命をおしまずきたなき利欲はすこしもなき故に功名の士をは中の位と定たり、性命の学に志なく、義理を専に守らざる人はせめて名の欲ありて利欲のなきがよし、真儒性命の学に志なく義理を守らざる人外聞を何ともおもはぬときは、必気随になりて作法あしく、其心潔人は狂者の風に入その心きたなきは市井の風に入ぬべし、吟味有べき事なり、しかれどもこれは心学に志なき凡夫の上の吟味なり、心学に志ある上の吟味はまた各別の吟味なり、
-
『翁問答』下卷之末之末儒者の心法は艮背敵応不相与の聖心を鏡とする故に、天子より下庶人にいたるまで、分々相応の本分すぎはひをいとなみ、財宝をたくはふるを欲とはいはず、一銭にても義理にそむきてとりたくはへ、また与ふべきものをおしみて与へざるを欲とす、此欲をすつることはやすき事にて世の中の住居のさはりとはならず、学問せぬ人も生付廉直なるものは、不義のたくはへをばいやしみきらふものなり、まして心学に志ある人をや、利欲に財欲と形気の欲とのすこしかはりあり財欲は金銀財宝沢山にほしきと思ひ、分もなき高知行をむさぶること也、此欲はすてやすきものなり、形気の欲は酒色ふけりおぼれ、又は形の便利を求すごす事也、此欲はすてがたきものなり、総して欲をすつる工夫、我心の一念おこる所にて省察してかち去るが簡要なり、此工夫を慎独と云なり、よくよく体認あるべし
-
『翁問答』下卷之末之末さて名の誉に真妄本末の差別あることをよく弁へざれば、名の欲をすてんとおもふ志ありても、工夫はげましがたし、聖賢君子英雄孝子忠臣の名の誉、其外一事の誉にでも義理にかなはぬを汚俗妖妄の名と云て、君子のたつとばざる所なり、妖妄の名をこのむ意はすてやすけれども、真実の名をこのむ、意は本末をよく弁へざればすてがたくて、人不知而不慍の位にいたりがたし、聖賢君子英雄孝子忠臣の名誉、その外一事にても義理にかなひたるほまれは、皆末と影となり、その名誉の根本と形とは、その心と行跡となり、聖賢の心を心にまもらず、聖賢の行跡を身におこなはずして、聖賢のほまれをとらん事を求め、心に孝徳なく身に孝行をおこなはずして孝行の誉をもとむるは、たとへば形なきに影をもとむるがごとく、猿猴の水の月をつかむに似たり其上我身のうちに連城の珠にもまさりて王公の位にもかへざる名誉の真楽ある事をしらず世間凡夫の理もなき俗談のほまれを願ひもとめて、むねをこかし身をくるしめて、楚女の寵愛をもとめて餓死したるが如きのふるまひ無下に浅まし、
-
『翁問答』下卷之末之末独を慎とは一念のすこしおこる時に良知を鏡とし、よく省察吟味して、名利の欲、習心、間思雑慮などの邪念おこるときは、我親の身をそこなひ破る不孝の罪人となりて、幽にしては六極莫重の鬼責をうけ、明にしては五刑莫大の肉刑を受べき魔心なりと恐れ慎、火急に克去て神明に相通ずる至徳の独楽をもとむる工夫を云なり、一念の悪心にておやの身をそこなひ破ると云子細は孝経曰身体髪膚は之を父母に受く、敢へて毀傷せざるは孝の始なり、
-
『翁問答』下卷之末之末夫名は実の賓と云て、其心に思ひ身に行ふ実あれば、即ち其名あるものなり、例へば実は形なり名は影なり、善を思ひ善をおこなへば善の名あり、堯舜孔顔など是なり、悪をおもひ悪を行へば悪の名あり、桀紂盗跖などこれなり、善をこのみ悪をにくむは人心秉彝の本然なる故に善名をほめたつとび悪名をにくみきらふは、万古のつねなり、しかるによつて生付いさぎよき士は、其名たかくあらはし誉をとらん事をこのめり、其心根善をこのみ悪をにくむ秉彝の本然にちかくて、利欲にけがれてきたなき凡夫にくらぶれば一位まさりたれ共、明徳あきらかならず、真妄本末のわきまへをしらず、風俗のあやまりに習そまりて、或は本をすてゝ末を専とし、或は真をそむきて妄をとるゆへに、その心根の始は善をこのみ悪をにくむ秉彝の本性に似たれとも、却本心をくらまし性命をそこなふ人欲のわづらひとなれり、利欲と名の欲とは清濁かはりありといへども、天性をそこなひやぶり不孝莫太の罪におちいる事はかりなるによつて、名と利の欲を牛角にきらひてかちさるものなり、
-
『翁問答』下卷之末之末聖人の心は艮背敵応にして意必固我の私なきによつて、富貴貧賤死生禍福、その外天下の万事大小高下清濁美悪におゐて、毛頭好悪煉択の情なく、只満腔満目一貫皇極の神理ばかりなりしかる故に位にのぼるをも財宝をたくはふるをも、欲ともせず又無欲ともせず、位をすて財宝をすつるをも無欲ともせずまた欲ともせず、只天道の神理にそむくを欲とし妄とす天道の神理にかなふを無欲とし無妄とす、神理にかなひぬれば天子の位にのぼるも財宝をたくはふるも、位をすつるも財宝をすつるも皆無欲なり無妄なり、神理にそむきぬれば天子の位をすつるも位にのぼるも、財宝を蓄ふるも皆欲なり妄なり、欲と無欲と妄と無妄とは、おこなふ事の品にはあらず、只その心根にあるものなれば、如何様なる事は無欲なり、如何様なる事は欲なりと、事にて指定むるは、まよひたる凡夫の心得、または異端偏僻の法なり、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る