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翁問答 / 下卷之末之末

夫名は實の賓と云て、其心に思ひ身に行ふ實あれば、即ち其名あるものなり、例へば實は形なり名は影なり、善を思ひ善をおこなへば善の名あり、堯舜孔顏など是なり、惡をおもひ惡を行へば惡の名あり、桀紂盜跖などこれなり、善をこのみ惡をにくむは人心秉彝の本然なる故に善名をほめたつとび惡名をにくみきらふは、萬古のつねなり、しかるによつて生付いさぎよき士は、其名たかくあらはし譽をとらん事をこのめり、其心根善をこのみ惡をにくむ秉彝の本然にちかくて、利欲にけがれてきたなき凡夫にくらぶれば一位まさりたれ共、明徳あきらかならず、眞妄本末のわきまへをしらず、風俗のあやまりに習そまりて、或は本をすてゝ末を專とし、或は眞をそむきて妄をとるゆへに、その心根の始は善をこのみ惡をにくむ秉彝の本性に似たれとも、却本心をくらまし性命をそこなふ人欲のわづらひとなれり、利欲と名の欲とは淸濁かはりありといへども、天性をそこなひやぶり不孝莫太の罪におちいる事はかりなるによつて、名と利の欲を牛角にきらひてかちさるものなり、

新字:夫名は実の賓と云て、其心に思ひ身に行ふ実あれば、即ち其名あるものなり、例へば実は形なり名は影なり、善を思ひ善をおこなへば善の名あり、堯舜孔顔など是なり、悪をおもひ悪を行へば悪の名あり、桀紂盗跖などこれなり、善をこのみ悪をにくむは人心秉彝の本然なる故に善名をほめたつとび悪名をにくみきらふは、万古のつねなり、しかるによつて生付いさぎよき士は、其名たかくあらはし誉をとらん事をこのめり、其心根善をこのみ悪をにくむ秉彝の本然にちかくて、利欲にけがれてきたなき凡夫にくらぶれば一位まさりたれ共、明徳あきらかならず、真妄本末のわきまへをしらず、風俗のあやまりに習そまりて、或は本をすてゝ末を専とし、或は真をそむきて妄をとるゆへに、その心根の始は善をこのみ悪をにくむ秉彝の本性に似たれとも、却本心をくらまし性命をそこなふ人欲のわづらひとなれり、利欲と名の欲とは清濁かはりありといへども、天性をそこなひやぶり不孝莫太の罪におちいる事はかりなるによつて、名と利の欲を牛角にきらひてかちさるものなり、

書き下し

夫名は実の賓と云て、其心に思ひ身に行ふ実あれば、即ち其名あるものなり、例へば実は形なり名は影なり、善を思ひ善をおこなへば善の名あり、堯舜孔顔など是なり、悪をおもひ悪を行へば悪の名あり、桀紂盗跖などこれなり、善をこのみ悪をにくむは人心秉彝の本然なる故に善名をほめたつとび悪名をにくみきらふは、万古のつねなり、しかるによつて生付いさぎよき士は、其名たかくあらはし誉をとらん事をこのめり、其心根善をこのみ悪をにくむ秉彝の本然にちかくて、利欲にけがれてきたなき凡夫にくらぶれば一位まさりたれ共、明徳あきらかならず、真妄本末のわきまへをしらず、風俗のあやまりに習そまりて、或は本をすてゝ末を専とし、或は真をそむきて妄をとるゆへに、その心根の始は善をこのみ悪をにくむ秉彝の本性に似たれとも、却本心をくらまし性命をそこなふ人欲のわづらひとなれり、利欲と名の欲とは清濁かはりありといへども、天性をそこなひやぶり不孝莫太の罪におちいる事はかりなるによつて、名と利の欲を牛角にきらひてかちさるものなり、

現代語訳

そもそも名は実の客(実に従うもの)といって、その心に思い身に行う実があれば、そのまま名があるものである。たとえば実は形であり名は影である。善を思い善を行えば善の名がある。堯・舜・孔子・顔回などがこれである。悪を思い悪を行えば悪の名がある。桀・紂・盗跖などがこれである。善を好み悪を憎むのは人の心の常の性(秉彝)の本然であるから、善名を褒め尊び、悪名を憎み嫌うのは万古の常である。そういうわけで、生まれつき潔い士は、その名を高く表し誉れを取ることを好む。その心根は善を好み悪を憎む秉彝の本然に近くて、利欲に汚れた凡夫に比べれば一段まさっているけれども、明徳が明らかでなく、真妄本末の弁えを知らず、風俗の誤りに習い染まって、あるいは本を捨てて末をもっぱらとし、あるいは真に背いて妄を取るので、その心根の初めは善を好み悪を憎む秉彝の本性に似ていても、かえって本心を暗くし、性命を損なう人欲の煩いとなる。利欲と名の欲とは清濁の違いはあるが、天性を損ない破って、この上ない不孝の罪に陥ることは同じであるから、名と利の欲を同等に嫌って克ち去るのである。

解説

「名は実の賓」は『荘子』逍遥遊の語で、名声は実質に付き従う客にすぎないという意味である。藤樹は、名は影、実は形であり、善を思い行えば善の名は自然に付いてくると説く。善名を好む心は人に本来備わる秉彝(『詩経』大雅の語)から出るが、本末を弁えずに名そのものを求めると、かえって本心を暗くする。だから名の欲も利の欲も同じように克ち去れと言う。評価や肩書を追いかけるより、評価される中身を磨くことに力を注げば、名は影のように後からついてくるのである。

この章句が説くこと

名誉実本心明徳孝秉彝

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