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翁問答 / 下卷之末之末

おこなふ所の事はともあれかくもあれ、その心に欲なく潔靜精微の神理明淨にして其事時中の天理にかなふを、無欲とし無妄とすたとひをこなふ所義理にあたりても、その心に欲あれば無欲にあらず、まして心に欲あるうへにその事義理にあたらざるは大欲と云ふものなりされば心に欲なく潔靜精微の神理明淨にしてその事の天理にあたりぬれば、帝堯の天下を舜にゆづりたまふも、帝舜の天下をうけたもふも、また湯王の桀を放たまふも、武王の紂を伐て天下を救たまふも、皆無欲の德行なり、もしまた堯舜湯武に欲心有つてかくおこなひたまはゞ、皆貪欲の妄行也、天下の授受取予は至極廣大なる事なり、其外萬事みなかくのごとし、一錢を人にあたへ一錢を人にうくるも、此心もちは、おなじことなり、

新字:おこなふ所の事はともあれかくもあれ、その心に欲なく潔静精微の神理明浄にして其事時中の天理にかなふを、無欲とし無妄とすたとひをこなふ所義理にあたりても、その心に欲あれば無欲にあらず、まして心に欲あるうへにその事義理にあたらざるは大欲と云ふものなりされば心に欲なく潔静精微の神理明浄にしてその事の天理にあたりぬれば、帝堯の天下を舜にゆづりたまふも、帝舜の天下をうけたもふも、また湯王の桀を放たまふも、武王の紂を伐て天下を救たまふも、皆無欲の徳行なり、もしまた堯舜湯武に欲心有つてかくおこなひたまはゞ、皆貪欲の妄行也、天下の授受取予は至極広大なる事なり、其外万事みなかくのごとし、一銭を人にあたへ一銭を人にうくるも、此心もちは、おなじことなり、

書き下し

おこなふ所の事はともあれかくもあれ、その心に欲なく潔静精微の神理明浄にして其事時中の天理にかなふを、無欲とし無妄とすたとひをこなふ所義理にあたりても、その心に欲あれば無欲にあらず、まして心に欲あるうへにその事義理にあたらざるは大欲と云ふものなりされば心に欲なく潔静精微の神理明浄にしてその事の天理にあたりぬれば、帝堯の天下を舜にゆづりたまふも、帝舜の天下をうけたもふも、また湯王の桀を放たまふも、武王の紂を伐て天下を救たまふも、皆無欲の徳行なり、もしまた堯舜湯武に欲心有つてかくおこなひたまはゞ、皆貪欲の妄行也、天下の授受取予は至極広大なる事なり、其外万事みなかくのごとし、一銭を人にあたへ一銭を人にうくるも、此心もちは、おなじことなり、

現代語訳

行う事はどうであれ、その心に欲がなく、潔静精微の神理が明らかに澄んで、その事が時中の天理にかなうのを、無欲とし無妄とする。たとえ行う事が義理に当たっていても、その心に欲があれば無欲ではない。まして心に欲があるうえに、その事が義理に当たらないのは、大欲というものである。だから心に欲がなく、潔静精微の神理が明らかに澄んで、その事が天理に当たっていれば、帝堯が天下を舜に譲られたのも、帝舜が天下を受けられたのも、また湯王が桀を追放されたのも、武王が紂を討って天下を救われたのも、みな無欲の徳行である。もしまた堯舜湯武に欲心があってそのように行われたのであれば、みな貪欲の妄行である。天下の授受取予は至極広大な事である。その他の万事もみなこのとおりである。一銭を人に与え一銭を人から受けるのも、この心持ちは同じことである。

解説

天下を譲ることと奪うこと、正反対に見える堯舜の禅譲と湯武の放伐が、いずれも無欲の徳行だと藤樹は言う。基準は、心に欲がなく、行いが時中の天理にかなっているかどうかである。逆に同じ行為でも欲心からなされれば貪欲の妄行になる。潔静精微は『礼記』経解篇で易の教えを形容する語である。藤樹は、天下の授受も一銭のやりとりも同じ心で量れると説く。大きな決断も日々の小さな取引も、私欲がないか、その場の道理にかなうかという同じ物差しで点検できるのである。

この章句が説くこと

無欲天理時中堯舜動機誠

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