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翁問答 / 下卷之末之末

儒書にのする所の禮儀作法は、時により所により人によりて、その儘は行はれぬものにて候、儒書にのする所の禮儀作法は大方周の代の制作なり、此禮儀作法をすこしもちがへず、只今日本にて位なきものが取おこなふ事は成がたし、たとひ位有人の取おこなふともすこしづゝ損益せずしてはおこなはれぬ道理なり、伏犧より周の代まで代々の聖人制作したまふ禮儀作法、その時代にはよく相應して中庸の儒法なれ共、代かはり時うつりては大過不及の弊ありて、損益なくてはかなはぬ事なり、しかる故に萬世通用の定法はすくなし、前かどにも論ずるごとく、禮儀作法は時により處により人によりてかはるものなれば、一しなの禮法になづむをば、欣眞落法とて大にきらふ事なり殷の代には夏の代の禮儀作法をあらため損益し周の代にはまた殷の代の禮儀作法をあらため損益したまふにて得心あるべし、

新字:儒書にのする所の礼儀作法は、時により所により人によりて、その儘は行はれぬものにて候、儒書にのする所の礼儀作法は大方周の代の制作なり、此礼儀作法をすこしもちがへず、只今日本にて位なきものが取おこなふ事は成がたし、たとひ位有人の取おこなふともすこしづゝ損益せずしてはおこなはれぬ道理なり、伏犠より周の代まで代々の聖人制作したまふ礼儀作法、その時代にはよく相応して中庸の儒法なれ共、代かはり時うつりては大過不及の弊ありて、損益なくてはかなはぬ事なり、しかる故に万世通用の定法はすくなし、前かどにも論ずるごとく、礼儀作法は時により処により人によりてかはるものなれば、一しなの礼法になづむをば、欣真落法とて大にきらふ事なり殷の代には夏の代の礼儀作法をあらため損益し周の代にはまた殷の代の礼儀作法をあらため損益したまふにて得心あるべし、

書き下し

儒書にのする所の礼儀作法は、時により所により人によりて、その儘は行はれぬものにて候、儒書にのする所の礼儀作法は大方周の代の制作なり、此礼儀作法をすこしもちがへず、只今日本にて位なきものが取おこなふ事は成がたし、たとひ位有人の取おこなふともすこしづゝ損益せずしてはおこなはれぬ道理なり、伏犠より周の代まで代々の聖人制作したまふ礼儀作法、その時代にはよく相応して中庸の儒法なれ共、代かはり時うつりては大過不及の弊ありて、損益なくてはかなはぬ事なり、しかる故に万世通用の定法はすくなし、前かどにも論ずるごとく、礼儀作法は時により処により人によりてかはるものなれば、一しなの礼法になづむをば、欣真落法とて大にきらふ事なり殷の代には夏の代の礼儀作法をあらため損益し周の代にはまた殷の代の礼儀作法をあらため損益したまふにて得心あるべし、

現代語訳

儒書に載せる礼儀作法は、時により所により人によって、そのままでは行えないものである。儒書に載せる礼儀作法はたいてい周の時代に作られたものである。この礼儀作法を少しも違えずに、今の日本で位のない者が行うことはできない。たとえ位のある人が行うとしても、少しずつ損益(加減)しなければ行えない道理である。伏羲から周の時代まで代々の聖人が作られた礼儀作法は、その時代にはよく相応して中庸の儒法であったが、時代が変わり時が移れば、過不足の弊害が生じて、損益しなくてはならない。だから万世に通用する定法は少ない。前にも論じたように、礼儀作法は時により所により人によって変わるものであるから、一つの礼法にこだわるのを「欣真落法」といって大いに嫌うのである。殷の代には夏の代の礼儀作法を改めて損益し、周の代にはまた殷の代の礼儀作法を改めて損益されたことで得心すべきである。

解説

藤樹の礼法論の要点がよく表れた一節である。儒書の礼儀作法は周代に作られたもので、時代・土地・身分が違えばそのままでは行えない。殷は夏の礼を、周は殷の礼を損益したという『論語』為政篇の言葉を根拠に、礼法は変わるものだと説き、一つの型にしがみつくことを「欣真落法」と呼んで戒める。藤樹が時・処・位に応じることを繰り返し説くのはこのためである。前任者のやり方や業界の慣習も、当時は最適だったとしても、今の状況に合わせて加減しなければ弊害を生むのである。

この章句が説くこと

礼時中損益時処位伝統変化

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