大和俗訓 / 巻之七・躬行下
一善をする事はやすく、善を行ひて、其名聞を求めざる事はかたし。是まことの善なり。人を犯さゞる事はやすく、人の我を犯せども、其返報をせざるは難し。一心には古の道を守り行ひ、身の作法は今の世の風俗にそむくべからず。今の世に生れ、古の法にかゝはりて、必行はんとするは僻事なり。道に害あり。古法の内、當世にも行はるべき事は行ふべし。當世の時宜にそむくべからず。又當世の風俗に流れて、古の道にそむくは、甚わるし。是道に志なきなり。道は五常五倫を云ふ。法は禮なり、作法を云ふ。
新字:一善をする事はやすく、善を行ひて、其名聞を求めざる事はかたし。是まことの善なり。人を犯さゞる事はやすく、人の我を犯せども、其返報をせざるは難し。一心には古の道を守り行ひ、身の作法は今の世の風俗にそむくべからず。今の世に生れ、古の法にかゝはりて、必行はんとするは僻事なり。道に害あり。古法の内、当世にも行はるべき事は行ふべし。当世の時宜にそむくべからず。又当世の風俗に流れて、古の道にそむくは、甚わるし。是道に志なきなり。道は五常五倫を云ふ。法は礼なり、作法を云ふ。
書き下し
一善をする事はやすく、善を行ひて、其名聞を求めざる事はかたし。是まことの善なり。人を犯さざる事はやすく、人の我を犯せども、其返報をせざるは難し。一心には古の道を守り行ひ、身の作法は今の世の風俗にそむくべからず。今の世に生れ、古の法にかかはりて、必行はんとするは僻事なり。道に害あり。古法の内、当世にも行はるべき事は行ふべし。当世の時宜にそむくべからず。又当世の風俗に流れて、古の道にそむくは、甚わるし。是道に志なきなり。道は五常五倫を云ふ。法は礼なり、作法を云ふ。
現代語訳
善をすることはやさしく、善を行ってその評判を求めないことは難しい。これがまことの善です。人をおかさないことはやさしく、人が自分をおかしても、その仕返しをしないことは難しい。心には古の道を守り行い、身の作法は今の世の風俗にそむいてはいけません。今の世に生まれて、古の法にこだわって必ず行おうとするのは間違いです。道に害があります。古法のうち、当世にも行えることは行いなさい。当世の時宜にそむいてはいけません。また当世の風俗に流されて、古の道にそむくのは、たいへん悪い。これは道に志がないのです。道とは五常・五倫をいいます。法とは礼であり、作法をいいます。
解説
この章句が説くこと
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