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翁問答 / 下卷之末

體充曰、左樣候はゞ初學の人も權をおこなひ候はんや。師の曰、權は聖人の妙用にして初學の人受用すること能はずといへども、工夫の準的はかならず權を目あてとすべし、たとへば鐵砲を打がごとし、いなとみがねらふ所も初心の人のねらふ所もまとにちがひはなけれども、いなとみは打ごとにきりもみにあたり、初心の人はかくをもうちはづすばかりなり、そのあたるとあたらざるとは天地懸隔なれ共、めあてのねらひ所をちがへてはうち習べき理なし、そのごとく初學の受用と聖人の妙用とは天地懸隔なれ共、權を準的として工夫せざれば、明德を明にすべき道なし。

新字:体充曰、左様候はゞ初学の人も権をおこなひ候はんや。師の曰、権は聖人の妙用にして初学の人受用すること能はずといへども、工夫の準的はかならず権を目あてとすべし、たとへば鉄砲を打がごとし、いなとみがねらふ所も初心の人のねらふ所もまとにちがひはなけれども、いなとみは打ごとにきりもみにあたり、初心の人はかくをもうちはづすばかりなり、そのあたるとあたらざるとは天地懸隔なれ共、めあてのねらひ所をちがへてはうち習べき理なし、そのごとく初学の受用と聖人の妙用とは天地懸隔なれ共、権を準的として工夫せざれば、明徳を明にすべき道なし。

書き下し

体充曰、左様候はゞ初学の人も権をおこなひ候はんや。師の曰、権は聖人の妙用にして初学の人受用すること能はずといへども、工夫の準的はかならず権を目あてとすべし、たとへば鉄砲を打がごとし、いなとみがねらふ所も初心の人のねらふ所もまとにちがひはなけれども、いなとみは打ごとにきりもみにあたり、初心の人はかくをもうちはづすばかりなり、そのあたるとあたらざるとは天地懸隔なれ共、めあてのねらひ所をちがへてはうち習べき理なし、そのごとく初学の受用と聖人の妙用とは天地懸隔なれ共、権を準的として工夫せざれば、明徳を明にすべき道なし。

現代語訳

體充が言った。そうであるならば、初学の人も権を行えるのか。師は言った。権は聖人の妙用であって初学の人が受用することはできないけれども、工夫の目標は必ず権を目当てとすべきである。たとえば鉄砲を撃つようなものである。稲富が狙う所も初心の人が狙う所も的に違いはないけれども、稲富は撃つたびに錐で揉むように的の中心に当たり、初心の人は的の枠さえ撃ち外すばかりである。その当たると当たらないとは天地ほどかけ離れているけれども、目当ての狙い所を違えては撃つ稽古をすべき道理がない。そのように初学の受用と聖人の妙用とは天地ほどかけ離れているけれども、権を目標として工夫しなければ、明徳を明らかにすべき道はない。

解説

初学者に権は使えるのかという問いに、藤樹は鉄砲の稽古でたとえて答える。鉄砲の名人として名高い稲富も初心者も、狙う的は同じで、違うのは当たるかどうかだけである。初心者が的を外すのは当然だが、狙う場所そのものを変えてしまえば上達の道はない。まだ聖人のように時にかなう判断はできなくても、目指す方向は最初からそこに置け、という教えである。仕事でも、未熟なうちから一流の基準を目標に据えて稽古することで、はじめて腕は伸びる。未熟さを理由に狙いを下げないことが大切である。

この章句が説くこと

権工夫目標稽古初学明徳

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