韓非子 / 六反第四十六
「爲政猶沐也,雖有弃髮,必爲之。」愛弃髮之費而忘長髮之利,不知權者也。
新字:「為政猶沐也,雖有弃髪,必為之。」愛弃髪之費而忘長髪之利,不知権者也。
書き下し
「政を為すは猶ほ沐のごときなり、弃髪有りと雖も、必ず之を為す。」弃髪の費を愛みて長髪の利を忘るるは、権を知らざる者なり。
現代語訳
「政治は髪を洗うようなものだ。抜け落ちる髪があっても、必ず洗う。」抜け落ちる髪を惜しんで、髪が伸びる利益を忘れるのは、権(利害の軽重を量ること)を知らない者である。
解説
六反篇に引かれた古いことわざで、政治を洗髪にたとえた印象的な一節です。髪を洗えば必ず何本かは抜け落ちるが、それを惜しんで洗わなければ、髪は健やかに伸びない。同じように、政治で法を行えば、罰せられる者や不利益を被る者が必ず出るが、それを恐れて法を行わなければ、国全体の利益は得られないというのです。ここでいう「権」とは、はかりで重さを量るように、利害の軽重を比べて判断することです。続く句では、腫れ物を切る痛みや薬の苦さのたとえが重ねられます。組織の改革でも、一部の反発や痛みを恐れて手をつけないままでは、全体が弱っていきます。小さな損失と大きな利益を量る目を持てと教えています。
この章句が説くこと
権改革コストトレードオフ法意思決定
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