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翁問答 / 下卷之末

利根なる者は必臆病なるなどゝ世俗のいへるは、此鄕原のにかたなるを見て云ならはしたるものなり、鄕原は名利の欲心を本として利害の分別利根なるによつて、かげひなたの目利上手にて義理をかくことをはぢざる故に、たといその生付けなげなるも、所によりては必ず二かたなり、君子はもとより利根なれ共、鄕原の利根とは利根の品かはり、鄕原の利根なる名利の欲には鈍にして、義理の是非に利根にて、利害の分別毛頭なきによつて、かげひなたの目的なく、ひたすらに義理を立ゆへに、かりそめにも二かたなることなし、しかれども鄕原は世間に多、君子はまれなれば、鄕原の利根ばかりを見なれて、かく云ならはすもまた宜なりとも云べきにや、此鄕原機轉利根にして、迹になずまず物に滯らず、その上面のふり聊中行の君子の光景に似て、道德のそこなひとなる故に、孔子ことの外にくみたまひて、鄕原は德の賊なりと斥けたまふ、今の世に此鄕原のなりぞこなひ澤山なりと見えたり、志あらん士はよく辨へてしたしみともなふまじきことなり。

新字:利根なる者は必臆病なるなどゝ世俗のいへるは、此郷原のにかたなるを見て云ならはしたるものなり、郷原は名利の欲心を本として利害の分別利根なるによつて、かげひなたの目利上手にて義理をかくことをはぢざる故に、たといその生付けなげなるも、所によりては必ず二かたなり、君子はもとより利根なれ共、郷原の利根とは利根の品かはり、郷原の利根なる名利の欲には鈍にして、義理の是非に利根にて、利害の分別毛頭なきによつて、かげひなたの目的なく、ひたすらに義理を立ゆへに、かりそめにも二かたなることなし、しかれども郷原は世間に多、君子はまれなれば、郷原の利根ばかりを見なれて、かく云ならはすもまた宜なりとも云べきにや、此郷原機転利根にして、迹になずまず物に滞らず、その上面のふり聊中行の君子の光景に似て、道徳のそこなひとなる故に、孔子ことの外にくみたまひて、郷原は徳の賊なりと斥けたまふ、今の世に此郷原のなりぞこなひ沢山なりと見えたり、志あらん士はよく弁へてしたしみともなふまじきことなり。

書き下し

利根なる者は必臆病なるなどゝ世俗のいへるは、此郷原のにかたなるを見て云ならはしたるものなり、郷原は名利の欲心を本として利害の分別利根なるによつて、かげひなたの目利上手にて義理をかくことをはぢざる故に、たといその生付けなげなるも、所によりては必ず二かたなり、君子はもとより利根なれ共、郷原の利根とは利根の品かはり、郷原の利根なる名利の欲には鈍にして、義理の是非に利根にて、利害の分別毛頭なきによつて、かげひなたの目的なく、ひたすらに義理を立ゆへに、かりそめにも二かたなることなし、しかれども郷原は世間に多、君子はまれなれば、郷原の利根ばかりを見なれて、かく云ならはすもまた宜なりとも云べきにや、此郷原機転利根にして、迹になずまず物に滞らず、その上面のふり聊中行の君子の光景に似て、道徳のそこなひとなる故に、孔子ことの外にくみたまひて、郷原は徳の賊なりと斥けたまふ、今の世に此郷原のなりぞこなひ沢山なりと見えたり、志あらん士はよく弁へてしたしみともなふまじきことなり。

現代語訳

利口な者は必ず臆病だなどと世間で言うのは、この郷原の二股なのを見て言い慣わしたものである。郷原は名利の欲心を本として利害の分別にさといので、陰日向の目利きが上手で、義理を欠くことを恥じないから、たとえその生まれつきが勇ましくても、場所によっては必ず二股になる。君子はもとより利口であるけれども、郷原の利口とは利口の質が違い、郷原が利口である名利の欲には鈍くて、義理の是非に利口であり、利害の分別が少しもないので、陰日向の目当てがなく、ひたすらに義理を立てるから、少しも二股になることはない。けれども郷原は世間に多く、君子はまれであるから、郷原の利口ばかりを見慣れてそう言い慣わすのも、また無理はないと言うべきであろうか。この郷原は機転がきいて利口であり、形跡にこだわらず物に滞らず、そのうえ表向きの振る舞いがいささか中行の君子の様子に似ていて、道徳をそこなうものとなるので、孔子はことのほか憎まれて、郷原は徳の賊だと退けられた。今の世にもこの郷原のなりそこないはたくさんいると見える。志のある士はよくわきまえて、親しみ交わってはならない。

解説

世間では利口な人は臆病だと言うが、藤樹はそれを郷原の姿から生じた誤解だとする。郷原は利害にさといため、陰と日向で態度を変える二股になる。君子も利口だが、その鋭さは名利ではなく義理の是非に向かい、利害の計算がないので態度がぶれない。同じ頭の良さでも、何に向かって働くかで人物はまったく変わるという見方である。郷原が中行の君子に似て見えるからこそ、孔子は徳の賊として憎んだ。賢さを損得の計算に使うか、正しさの判断に使うかは、日々の小さな選択の積み重ねで決まっていく。

この章句が説くこと

郷原利根君子義理徳二股

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