翁問答 / 下卷之末
體充問曰、侫人とはいかやうなるものを申候や。師の曰、心ねぢけてくろの上手なる者を侫人と云、才智たくましく藝能文學人にすぐれ、辯舌達し邪欲ふかく、義理を守らず人を化す事野狐のごとく、人をそこなふ事虎狼のごとくなる心根ある者が、侫人の棟梁なり、その虎狼野狐のごとくなる邪心をよくかくして、才智藝能文學辯舌をもて君子のふりにばけたり人をばかすこと、狐の及ぶきはにあらず、しかるによつて凡夫みなばかされて、君子なりともてはやすものなり、古來此侫人ぎつねにばかされて天下を亡し國をうしなふ人多し、世間にもてはやす名高き出家諸士其外藝にて身を立つる士俗儒の中より、此侫人狐おゝくばけ出ると見えたり、天子諸侯の御用心ましますべき事也。
新字:体充問曰、侫人とはいかやうなるものを申候や。師の曰、心ねぢけてくろの上手なる者を侫人と云、才智たくましく芸能文学人にすぐれ、弁舌達し邪欲ふかく、義理を守らず人を化す事野狐のごとく、人をそこなふ事虎狼のごとくなる心根ある者が、侫人の棟梁なり、その虎狼野狐のごとくなる邪心をよくかくして、才智芸能文学弁舌をもて君子のふりにばけたり人をばかすこと、狐の及ぶきはにあらず、しかるによつて凡夫みなばかされて、君子なりともてはやすものなり、古来此侫人ぎつねにばかされて天下を亡し国をうしなふ人多し、世間にもてはやす名高き出家諸士其外芸にて身を立つる士俗儒の中より、此侫人狐おゝくばけ出ると見えたり、天子諸侯の御用心ましますべき事也。
書き下し
体充問曰、侫人とはいかやうなるものを申候や。師の曰、心ねぢけてくろの上手なる者を侫人と云、才智たくましく芸能文学人にすぐれ、弁舌達し邪欲ふかく、義理を守らず人を化す事野狐のごとく、人をそこなふ事虎狼のごとくなる心根ある者が、侫人の棟梁なり、その虎狼野狐のごとくなる邪心をよくかくして、才智芸能文学弁舌をもて君子のふりにばけたり人をばかすこと、狐の及ぶきはにあらず、しかるによつて凡夫みなばかされて、君子なりともてはやすものなり、古来此侫人ぎつねにばかされて天下を亡し国をうしなふ人多し、世間にもてはやす名高き出家諸士其外芸にて身を立つる士俗儒の中より、此侫人狐おゝくばけ出ると見えたり、天子諸侯の御用心ましますべき事也。
現代語訳
體充が問うた。侫人とはどのような者を言うのか。師は言った。心がねじけて腹黒さに長けた者を侫人という。才智がたくましく、芸能・文学が人にすぐれ、弁舌が達者で邪欲が深く、義理を守らず、人を化かすことは野狐のようであり、人をそこなうことは虎や狼のようである心根の者が、侫人の棟梁である。その虎狼野狐のような邪心をよく隠して、才智・芸能・文学・弁舌によって君子のふりに化けて人を化かすことは、狐の及ぶところではない。それで凡夫はみな化かされて、君子だともてはやすのである。昔からこの侫人狐に化かされて天下を亡ぼし国を失った人は多い。世間でもてはやす名高い出家・諸士、そのほか芸で身を立てる士や俗儒の中から、この侫人狐が多く化け出ると見える。天子・諸侯がご用心なさるべきことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・顔淵篇司馬牛、君子を問う。子曰く、「君子は憂えず懼れず。」曰く、「憂えず懼れざれば、斯れ之を君子と謂うか。」子曰く、「内に省みて疚しからずんば、夫れ何をか憂え何をか懼れん。」
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論語・憲問篇子曰く、君子にして不仁なる者有るかな。未だ小人にして仁なる者有らざるなり。
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論語・学而篇子曰く、「君子は食らうに飽くことを求めず、居るに安きを求めず、事に敏にして言に慎み、有道に就いて正す。学を好むと謂う可きのみ。」
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論語・為政篇子曰く、「君子は器ならず。」
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論語・学而篇子曰く、「君子重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ、過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。」
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荀子・哀公篇哀公曰く、善し。敢えて問う、何如なれば斯ち之を君子と謂うべきか、と。孔子対えて曰く、所謂る君子なる者は、言は忠信にして心に徳とせず、仁義身に在りて色に伐(ほこ)らず、思慮明通にして辞は争わず。故に猶然として将に及ぶべきが如き者は、君子なり、と。
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