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翁問答 / 下卷之末

夫仁は天神地祇の人物を發育したまふ神道にして、人間慈愛の神理なり、もとより親親仁民愛物生理の時にそむきては、一草一木をも切らざるは仁者の常なれども、天道をおそれず惡逆をして生理をそこなふ科人をば殺すをもて仁とするなり、殺と不殺との事になずみて、仁不仁を論ずるは愚痴なる凡夫の心得なり、殺べき罪科ありて殺さゞれば神道の生理をそこなふによつて科なき者をころすとひとしき不仁なり、しかるに今佛氏の殺生戒は、のみしらみをも殺さゞる法なれば、まして人間をば主親をころせる惡人にても宥て不殺を本とす、これを仁に似たる不仁、善に似たる惡、是に似たる非と云なり、加樣のにせものをもて正眞の神理にくらべられ候はんや、

新字:夫仁は天神地祇の人物を発育したまふ神道にして、人間慈愛の神理なり、もとより親親仁民愛物生理の時にそむきては、一草一木をも切らざるは仁者の常なれども、天道をおそれず悪逆をして生理をそこなふ科人をば殺すをもて仁とするなり、殺と不殺との事になずみて、仁不仁を論ずるは愚痴なる凡夫の心得なり、殺べき罪科ありて殺さゞれば神道の生理をそこなふによつて科なき者をころすとひとしき不仁なり、しかるに今仏氏の殺生戒は、のみしらみをも殺さゞる法なれば、まして人間をば主親をころせる悪人にても宥て不殺を本とす、これを仁に似たる不仁、善に似たる悪、是に似たる非と云なり、加様のにせものをもて正真の神理にくらべられ候はんや、

書き下し

夫仁は天神地祇の人物を発育したまふ神道にして、人間慈愛の神理なり、もとより親親仁民愛物生理の時にそむきては、一草一木をも切らざるは仁者の常なれども、天道をおそれず悪逆をして生理をそこなふ科人をば殺すをもて仁とするなり、殺と不殺との事になずみて、仁不仁を論ずるは愚痴なる凡夫の心得なり、殺べき罪科ありて殺さゞれば神道の生理をそこなふによつて科なき者をころすとひとしき不仁なり、しかるに今仏氏の殺生戒は、のみしらみをも殺さゞる法なれば、まして人間をば主親をころせる悪人にても宥て不殺を本とす、これを仁に似たる不仁、善に似たる悪、是に似たる非と云なり、加様のにせものをもて正真の神理にくらべられ候はんや、

現代語訳

そもそも仁は、天神地祇が人や物を発育なさる神道であって、人間の慈愛の神理である。もとより、親に親しみ民をいつくしみ物を愛し、生育の時節に背いては一草一木をも切らないのは仁者の常であるが、天道を畏れず悪逆をして生命の理をそこなう罪人を殺すことをもって仁とするのである。殺すか殺さないかという事にこだわって仁・不仁を論じるのは、愚かな凡夫の心得である。殺すべき罪科があって殺さなければ、神道の生理をそこなうので、罪のない者を殺すのと等しい不仁である。ところが今、仏氏の殺生戒は蚤や虱さえ殺さない法であるから、まして人間については、主君や親を殺した悪人であっても許して殺さないことを本とする。これを仁に似た不仁、善に似た悪、是に似た非というのである。このような偽物をもって正真の神理に比べられようか。

解説

藤樹は仁を、天地が万物を生み育てる働きそのものと捉える。だから時節に背いて草木を切らないことも仁であれば、生の秩序を壊す悪人を罰することもまた仁である。行為の形だけを見て「殺さないから仁」と判断するのは凡夫の考えだという。「親親仁民愛物」は『孟子』尽心上の語で、親から民へ、民から物へと愛を順に及ぼす儒教の考え方を示す。優しさや寛容も、守るべきものを守れないなら徳とは言えない。組織で不正を見過ごすことが、まじめに働く人を傷つけることもある。

この章句が説くこと

仁慈愛善悪殺生戒天道生理

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