文武訓 / 武訓下
仁者は、將となりても人を多くころさず。しからば將たること數代なりとも、何ぞ害あらんや。若不仁にして人を多くころしたる人は、三世にかぎらず、一代將となりても、其子孫斷絕せし人、古今其ためし多し。天道不仁をにくみ給ふこと、これを以て知るべし。其理たがはず、うたがふべからず。天道おそるべし、あきらかなり。
新字:仁者は、将となりても人を多くころさず。しからば将たること数代なりとも、何ぞ害あらんや。若不仁にして人を多くころしたる人は、三世にかぎらず、一代将となりても、其子孫断絶せし人、古今其ためし多し。天道不仁をにくみ給ふこと、これを以て知るべし。其理たがはず、うたがふべからず。天道おそるべし、あきらかなり。
書き下し
仁者は、将となりても人を多くころさず。しからば将たること数代なりとも、何ぞ害あらんや。若不仁にして人を多くころしたる人は、三世にかぎらず、一代将となりても、其子孫断絶せし人、古今其ためし多し。天道不仁をにくみ給ふこと、これを以て知るべし。其理たがはず、うたがふべからず。天道おそるべし、あきらかなり。
現代語訳
仁のある者は、将となっても人を多く殺しません。そうであれば、将であることが何代続いても、何の害がありましょうか。もし不仁で人を多く殺した人は、三代に限らず一代で将となっても、その子孫が断絶した人が昔も今も多くいます。天道が不仁を憎まれることは、これによって知るべきです。その理は違うことがなく、疑ってはいけません。天道は畏るべきものであり、明らかです。
解説
前の条の「三代の将は子孫なし」という言い伝えを、益軒は数の問題ではなく仁の問題として読み替えます。将の家が続いても、殺生を好まなければ害はなく、逆に不仁なら一代でも家は絶えるというのです。ここには、善には福、悪には禍が返るという、益軒が繰り返し説く天道観があります。現代に置きかえれば、立場や権限そのものより、それをどう使うかが問われるということです。力を持つ人ほど、その使い方に慎みを持つべきだという戒めとして読めます。
この章句が説くこと
仁天道将子孫慎み
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