翁問答 / 下卷之末
體充曰、五戒と五常と名はちがひたれ共、心は同じものなりと佛者の云るはきこえたる樣に存候いかゞ。師の曰、それは知らぬ京物語といふものなり、夫五常は天神地祇の大德人生の天性にて、佛氏の極上と尊ぶ妙覺の佛性よりも一位ましたる無上無外の天德なり、しかるを一事になづみて、偏にひがみたる五戒の法とおなじ事といふは、金と鉛は名はちがひたれ共おなじかねなりと爭ごとくなれば、その分辯は論ずるにおよばぬ事なれども心學をよくしらぬ人はまよへることもあるべし、仁者の人を殺す事を嗜ざるを見て、天理眞妄の差別をわきまへず、不殺を仁の全體なりと心得て殺生戒を仁なりといふ、是に似たる非といふもの也。
新字:体充曰、五戒と五常と名はちがひたれ共、心は同じものなりと仏者の云るはきこえたる様に存候いかゞ。師の曰、それは知らぬ京物語といふものなり、夫五常は天神地祇の大徳人生の天性にて、仏氏の極上と尊ぶ妙覚の仏性よりも一位ましたる無上無外の天徳なり、しかるを一事になづみて、偏にひがみたる五戒の法とおなじ事といふは、金と鉛は名はちがひたれ共おなじかねなりと争ごとくなれば、その分弁は論ずるにおよばぬ事なれども心学をよくしらぬ人はまよへることもあるべし、仁者の人を殺す事を嗜ざるを見て、天理真妄の差別をわきまへず、不殺を仁の全体なりと心得て殺生戒を仁なりといふ、是に似たる非といふもの也。
書き下し
体充曰、五戒と五常と名はちがひたれ共、心は同じものなりと仏者の云るはきこえたる様に存候いかゞ。師の曰、それは知らぬ京物語といふものなり、夫五常は天神地祇の大徳人生の天性にて、仏氏の極上と尊ぶ妙覚の仏性よりも一位ましたる無上無外の天徳なり、しかるを一事になづみて、偏にひがみたる五戒の法とおなじ事といふは、金と鉛は名はちがひたれ共おなじかねなりと争ごとくなれば、その分弁は論ずるにおよばぬ事なれども心学をよくしらぬ人はまよへることもあるべし、仁者の人を殺す事を嗜ざるを見て、天理真妄の差別をわきまへず、不殺を仁の全体なりと心得て殺生戒を仁なりといふ、是に似たる非といふもの也。
現代語訳
體充が言った。五戒と五常は名は違っても心は同じものだと仏者が言うのは、もっともらしく聞こえるが、いかがか。師は言った。それは知らない京の様子を語るようなものである。そもそも五常は天神地祇の大徳、人の生まれつきの天性であって、仏氏が極上と尊ぶ妙覚の仏性よりも一段上の、無上無外の天徳である。それを一事にこだわって偏った五戒の法と同じだというのは、金と鉛は名は違ってもどちらも同じ金属だと言い争うようなものであるから、その区別は論じるまでもないことだが、心学をよく知らない人は迷うこともあるだろう。仁者が人を殺すことを好まないのを見て、天理の真妄の差別をわきまえず、殺さないことが仁の全体だと心得て殺生戒を仁だというのは、是に似た非というものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・雍也篇宰我問いて曰く、「仁者は之に告げて『井に仁有り』と曰うと雖も、其れ之に従わんか。」子曰く、「何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可きも、陥る可からず。欺く可きも、罔う可からず。」
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論語・八佾篇子曰く、人にして仁ならずんば、礼を如(いかん)せん;人にして仁ならずんば、楽を如せん。
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論語・憲問篇「克・伐・怨・欲、行われずんば、以て仁と為す可きか。」子曰く、「以て難しと為す可し。仁は則ち吾知らざるなり。」
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論語・里仁篇子曰わく、不仁者は久しく約に処るべからず、長く楽に処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。
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論語・里仁篇子曰わく、ただ仁者のみよく人を好み、よく人を悪む。
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論語・微子篇微子これを去り、箕子これに為に奴となり、比干諫めて死す。孔子曰わく、殷に三仁有り。
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