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学則 / 学則六

君子不輕絕人。亦不輕絕物。所以成其大也。睹夫生已。凡天地萬物之情。棼縕交結。雜以成文。陰陽相仍。禪易弗居。辟諸糾纆。剛柔相苞。曾曾無盡。喩如剝蕉。不可得而窮詰已。故是非淑慝。無適無莫。大氏物不得其養惡也。不得其所。惡也。養而成之。俾得其所。皆善也。媲人虎狼。糅稗苐於穀。惡已。雖然。天地不厭虎狼。雨露不擇稗苐。聖人之道。亦猶若是夫。其不得已而去之遠之抶之殺之。惡其害於仁也。非惡其惡也。故惡不仁之甚。好仁之不至也。

新字:君子不軽絶人。亦不軽絶物。所以成其大也。睹夫生已。凡天地万物之情。棼縕交結。雑以成文。陰陽相仍。禅易弗居。辟諸糾纆。剛柔相苞。曽曽無尽。喩如剥蕉。不可得而窮詰已。故是非淑慝。無適無莫。大氏物不得其養悪也。不得其所。悪也。養而成之。俾得其所。皆善也。媲人虎狼。糅稗苐於穀。悪已。雖然。天地不厭虎狼。雨露不択稗苐。聖人之道。亦猶若是夫。其不得已而去之遠之抶之殺之。悪其害於仁也。非悪其悪也。故悪不仁之甚。好仁之不至也。

書き下し

君子は軽がろしく人を絶たず、亦た軽がろしく物を絶たず。其の大を成す所以なり。夫の生を睹るのみ。凡そ天地万物の情、棼縕交結し、雑はりて以て文を成す。陰陽相仍り、禅易して居らず。諸を糾纆に辟ふ。剛柔相苞み、曾曾として尽くる無し。喩へば蕉を剝くが如く、得て窮詰すべからざるのみ。故に是非淑慝、適無く莫無し。大氏物其の養を得ざる、悪なり。其の所を得ざる、悪なり。養ひて之を成し、其の所を得しむる、皆善なり。人に虎狼を媲べ、稗苐を穀に糅ふるは、悪なり。然りと雖も、天地は虎狼を厭はず、雨露は稗苐を択ばず。聖人の道も亦た猶ほ是くのごときか。其の已むを得ずして之を去り、之を遠ざけ、之を抶ち、之を殺すは、其の仁を害するを悪めばなり。其の悪を悪むに非ざるなり。故に不仁を悪むことの甚だしきは、仁を好むことの至らざるなり。

現代語訳

君子は軽々しく人を見限らず、また軽々しく物を捨てない。それが大きなことを成し遂げるゆえんである。ただ物が生まれ育つさまを見ればよい。およそ天地万物のありようは、もつれ合い結び合い、入り交じって模様をなしている。陰と陽は互いに続き合い、入れ替わってとどまることがない。より合わせた縄にたとえられよう。剛と柔は互いに包み合い、幾重にも尽きることがない。たとえば芭蕉の茎を剝いていくようなもので、どこまで行っても芯を突きとめることはできない。だから是非善悪について、頭から決めてかかることはしない。おおよそ、物がその養いを得られないのが悪であり、居場所を得られないのが悪である。養って成長させ、居場所を得させることは、すべて善である。人のそばに虎や狼を並べ、穀物に雑草を混ぜるのは悪である。しかし天地は虎や狼を嫌わず、雨露は雑草を選り分けない。聖人の道もまたこのようなものであろう。やむを得ず取り除き、遠ざけ、鞭打ち、殺すのは、それが仁を害するのを憎むからであって、その者の悪そのものを憎むからではない。だから、不仁をひどく憎むのは、仁を好む心が足りないからなのである。

解説

第六則は善悪の見方を根本から問い直す。天地万物は陰陽剛柔が縄のように絡み合い、芭蕉を剝くように芯まで突きとめられない。だから善悪を固定して裁くのではなく、物が養いと居場所を得ているかどうかで判断せよと徂徠は言う。天地が虎狼も雑草も拒まないように、聖人も悪を憎んで除くのでなく、仁を害するときだけやむを得ず除く。『論語』の「適無く莫無し」に基づく寛容の論理であり、朱子学の厳格な善悪二分への反論である。問題社員を排除する前に、その人が居場所と養いを得ているかを問う視点になる。

この章句が説くこと

善悪仁養う聖人人材寛容

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