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翁問答 / 上卷之末

體充問曰、つらつら人物のありさまを考へ見るに、よきものは少なく、あしきものは多し、よき者は育ちがたくあしきものは育ち易し、人間には賢人君子まれなり、たまたまあれども或は不幸短命なり、愚痴不肖は世界にみちみちて澤山なり、盜賊などをば何れの代にもさがし、求めてころせどもたらず、鳥には鳳凰はまれにて鳶鴉は雲霞の如し、獸には麒麟は世にまれにて狐狸は其かずをしらず、草木には靈草名木はすくなくして、名もなき雜木野草は山野にみてり、天道は純粹至善なりと承はりをよび候へば、よきものは多くあしきものは少なきはずにて候へ、かへつてあしき者の澤山なるは、何たる道理にて御座候や。

新字:体充問曰、つらつら人物のありさまを考へ見るに、よきものは少なく、あしきものは多し、よき者は育ちがたくあしきものは育ち易し、人間には賢人君子まれなり、たまたまあれども或は不幸短命なり、愚痴不肖は世界にみちみちて沢山なり、盗賊などをば何れの代にもさがし、求めてころせどもたらず、鳥には鳳凰はまれにて鳶鴉は雲霞の如し、獣には麒麟は世にまれにて狐狸は其かずをしらず、草木には霊草名木はすくなくして、名もなき雑木野草は山野にみてり、天道は純粋至善なりと承はりをよび候へば、よきものは多くあしきものは少なきはずにて候へ、かへつてあしき者の沢山なるは、何たる道理にて御座候や。

書き下し

体充問曰、つらつら人物のありさまを考へ見るに、よきものは少なく、あしきものは多し、よき者は育ちがたくあしきものは育ち易し、人間には賢人君子まれなり、たまたまあれども或は不幸短命なり、愚痴不肖は世界にみちみちて沢山なり、盗賊などをば何れの代にもさがし、求めてころせどもたらず、鳥には鳳凰はまれにて鳶鴉は雲霞の如し、獣には麒麟は世にまれにて狐狸は其かずをしらず、草木には霊草名木はすくなくして、名もなき雑木野草は山野にみてり、天道は純粋至善なりと承はりをよび候へば、よきものは多くあしきものは少なきはずにて候へ、かへつてあしき者の沢山なるは、何たる道理にて御座候や。

現代語訳

體充が問うて言った。「つらつら人や物のありさまを考えてみますと、よいものは少なく、悪いものは多いのです。よい者は育ちにくく、悪い者は育ちやすい。人間には賢人君子はまれで、たまたまいても不幸にして短命です。愚痴・不肖の者は世界に満ち満ちてたくさんおります。盗賊などはどの時代にも探し求めて殺しても足りません。鳥では鳳凰はまれで、鳶や鴉は雲霞のようです。獣では麒麟は世にまれで、狐や狸は数知れません。草木では霊草や名木は少なくて、名もない雑木や野草が山野に満ちています。天道は純粋至善であると承っておりますので、よいものが多く悪いものは少ないはずですのに、かえって悪い者がたくさんいるのは、どういう道理でございましょうか。」

解説

体充は、天道が至善ならなぜ世の中には賢者が少なく、愚かな者や悪人が多いのかと問う。鳳凰と鳶鴉、麒麟と狐狸、霊草と雑木を対にして、自然界まで見渡した素朴だが根本的な疑問である。善い人が報われず短命であることへの嘆きも含まれ、天道への信頼が揺らぐところを正面から突いている。藤樹はこの問いを「よき不審」として受け止め、次の答えで精粗の論を展開する。現代でも、真面目な人ほど損をするように見える世の中に失望することがある。その失望を問いとして言葉にすること自体が、学びの入り口になる。

この章句が説くこと

天道善悪賢人問い至善学問

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