翁問答 / 下卷之末
夫人間は迷悟の二に極まれり、迷ときは凡夫なり悟ときは聖賢君子佛菩薩なり、その迷と悟は一心にあり人欲ふかく無明の雲あつく、心月のひかりかすかにして、やみの夜のごとくなるを迷の心といふなり、學問修行の功つもりて人欲きよくつきて、無明の雲はれ心月の靈光あきらかにてらすを悟の心と云、此悟の心を佛經に無心、無本佛、妙覺佛、化身佛などゝ名く、また無礙淸淨位と云、前かどに論ずる高明廣大の道體をさとる狂者の心の位これなり、かくの如く悟たる心の無欲無爲自然の靈覺を眞心と定眞性と定靈性と定、佛心と定、佛性と定、これ即ち釋尊、達磨の心法の端的なり、三大乘の觀念千七百則の公案、皆この端的に約れり、
新字:夫人間は迷悟の二に極まれり、迷ときは凡夫なり悟ときは聖賢君子仏菩薩なり、その迷と悟は一心にあり人欲ふかく無明の雲あつく、心月のひかりかすかにして、やみの夜のごとくなるを迷の心といふなり、学問修行の功つもりて人欲きよくつきて、無明の雲はれ心月の霊光あきらかにてらすを悟の心と云、此悟の心を仏経に無心、無本仏、妙覚仏、化身仏などゝ名く、また無礙清浄位と云、前かどに論ずる高明広大の道体をさとる狂者の心の位これなり、かくの如く悟たる心の無欲無為自然の霊覚を真心と定真性と定霊性と定、仏心と定、仏性と定、これ即ち釈尊、達磨の心法の端的なり、三大乗の観念千七百則の公案、皆この端的に約れり、
書き下し
夫人間は迷悟の二に極まれり、迷ときは凡夫なり悟ときは聖賢君子仏菩薩なり、その迷と悟は一心にあり人欲ふかく無明の雲あつく、心月のひかりかすかにして、やみの夜のごとくなるを迷の心といふなり、学問修行の功つもりて人欲きよくつきて、無明の雲はれ心月の霊光あきらかにてらすを悟の心と云、此悟の心を仏経に無心、無本仏、妙覚仏、化身仏などゝ名く、また無礙清浄位と云、前かどに論ずる高明広大の道体をさとる狂者の心の位これなり、かくの如く悟たる心の無欲無為自然の霊覚を真心と定真性と定霊性と定、仏心と定、仏性と定、これ即ち釈尊、達磨の心法の端的なり、三大乗の観念千七百則の公案、皆この端的に約れり、
現代語訳
そもそも人間は迷と悟の二つに極まる。迷うときは凡夫であり、悟るときは聖賢・君子・仏・菩薩である。その迷と悟は一つの心にある。人欲が深く無明の雲が厚く、心の月の光がかすかで闇夜のようであるのを迷いの心という。学問修行の功が積もって人欲がきれいに尽き、無明の雲が晴れて心の月の霊光が明らかに照らすのを悟りの心という。この悟りの心を仏経では無心・無本仏・妙覚仏・化身仏などと名づけ、また無礙清浄位という。前に論じた、高明広大の道体を悟る狂者の心の位がこれである。このように悟った心の無欲・無為・自然の霊覚を真心と定め、真性と定め、霊性と定め、仏心と定め、仏性と定める。これがすなわち釈尊・達磨の心法の要であり、三大乗の観念も千七百則の公案も、みなこの要に集約される。
解説
この章句が説くこと
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