翁問答 / 下卷之末
師の曰、巢父、許由、曾哲、原壤などは、堯舜、孔子の日の光つよきによつて、その狂見の敎をひろめて世敎のさまたげとならず、其上惟狂克念作聖の人なるによつて斥けたまはざるなり、程子朱子の時には儒道くらくて佛道盛にひろまり、末流の比丘みだりに意見にまかせくちにまかせて、釋尊の本意にもそむきたる造言をなし、法をたてゝ世をまどはし人を誑し、すゝむるによつて、やむことを得ずしてかくの如くしりぞけひらきて、天下後世のまよひを解あきらめ召されたり、即ち孔子原壤の脛を叩て爲賊と責たまふ意を祖述して、攘退めされたれば據どころなきにあらず、佛氏の流をくむもの許由曾哲などの如く、我心にのみ狂見をまもりて世敎をさまたげずば、程子朱子もさのみしりぞけひらきめさるまじ、君子は仁孝の心切なる故に、天下を汚濁に溺らし、人倫を禽獸の域にひきいれぬるを憐れみなげきて、はなはだしく攘斥めされたり、佛者の勝むことをこのむ邪心にて、儒道をそねむが如くなるにはあらず。
新字:師の曰、巣父、許由、曽哲、原壤などは、堯舜、孔子の日の光つよきによつて、その狂見の教をひろめて世教のさまたげとならず、其上惟狂克念作聖の人なるによつて斥けたまはざるなり、程子朱子の時には儒道くらくて仏道盛にひろまり、末流の比丘みだりに意見にまかせくちにまかせて、釈尊の本意にもそむきたる造言をなし、法をたてゝ世をまどはし人を誑し、すゝむるによつて、やむことを得ずしてかくの如くしりぞけひらきて、天下後世のまよひを解あきらめ召されたり、即ち孔子原壤の脛を叩て為賊と責たまふ意を祖述して、攘退めされたれば拠どころなきにあらず、仏氏の流をくむもの許由曽哲などの如く、我心にのみ狂見をまもりて世教をさまたげずば、程子朱子もさのみしりぞけひらきめさるまじ、君子は仁孝の心切なる故に、天下を汚濁に溺らし、人倫を禽獣の域にひきいれぬるを憐れみなげきて、はなはだしく攘斥めされたり、仏者の勝むことをこのむ邪心にて、儒道をそねむが如くなるにはあらず。
書き下し
師の曰、巣父、許由、曽哲、原壤などは、堯舜、孔子の日の光つよきによつて、その狂見の教をひろめて世教のさまたげとならず、其上惟狂克念作聖の人なるによつて斥けたまはざるなり、程子朱子の時には儒道くらくて仏道盛にひろまり、末流の比丘みだりに意見にまかせくちにまかせて、釈尊の本意にもそむきたる造言をなし、法をたてゝ世をまどはし人を誑し、すゝむるによつて、やむことを得ずしてかくの如くしりぞけひらきて、天下後世のまよひを解あきらめ召されたり、即ち孔子原壤の脛を叩て為賊と責たまふ意を祖述して、攘退めされたれば拠どころなきにあらず、仏氏の流をくむもの許由曽哲などの如く、我心にのみ狂見をまもりて世教をさまたげずば、程子朱子もさのみしりぞけひらきめさるまじ、君子は仁孝の心切なる故に、天下を汚濁に溺らし、人倫を禽獣の域にひきいれぬるを憐れみなげきて、はなはだしく攘斥めされたり、仏者の勝むことをこのむ邪心にて、儒道をそねむが如くなるにはあらず。
現代語訳
師は言った。巣父・許由・曾晳・原壌などは、堯舜や孔子の日の光が強かったので、その狂見の教えを広めて世の教えの妨げとなることはなかった。そのうえ「狂も克く念えば聖となる」人であったから退けられなかったのである。程子・朱子の時には儒道が暗くて仏道が盛んに広まり、末流の比丘がみだりに意見と口にまかせて、釈尊の本意にも背いた造言をなし、法を立てて世を惑わし人をたぶらかして勧めたので、やむをえずこのように退け開いて、天下後世の迷いを解き明らかになさった。すなわち孔子が原壌のすねを叩いて「賊となす」と責められた意を受け継いで退けられたのであるから、よりどころのないことではない。仏氏の流れをくむ者が、許由・曾晳などのように自分の心にだけ狂見を守って世の教えを妨げなければ、程子・朱子もそれほど退け開きはなさらなかったであろう。君子は仁孝の心が切実であるから、天下を汚濁に溺れさせ、人倫を禽獣の域に引き入れるのを憐れみ嘆いて、はなはだしく退けられたのである。仏者が勝ちを好む邪心で儒道を妬むようなものではない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』公孟程子曰く、「甚だしいかな、先生の儒を毁るや」と。子墨子曰く、「儒に固より此の各の四政無くして、我れ之を言わば、則ち是れ毁るなり。今、儒に固より此の四政有りて、我れ之を言わば、則ち毁るに非ざるなり、聞くを告ぐるなり」と。程子、辭無くして出づ。子墨子曰く、「之に迷えるかな」と。反り、後に坐して、進みて復た曰く、「鄉者、先生の言に聞く可き者有り。若し先生の言のごとくんば、則ち是れ禹を譽めず、桀紂を毁らざるなり」と。子墨子曰く、「然らず。夫れ孰辭に應ずるに、議に稱いて之を為すは、敏なり。厚く攻むれば則ち厚く吾れし、薄く攻むれば則ち薄く吾れす。孰辭に應じて議に稱うは、是れ猶お轅を荷いて蛾を擊つがごときなり」と。
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『呻吟語』内篇・應務・事手に到らざれば人を責むること盡く易し今人前輩先達の事を作すに自ら振拔せざるを見て、輒ち歎恨を生ず。知らず、渠我に當たる時にも也た人を歎恨するを會すや否や。我渠に當たる時に能く後人の歎恨を免るや否や。事手に到らざれば、人を責むること盡く易し。君が手に到る時を待ちて、事事努力して輕く放過せざれば便ち好し。只だ嘵嘵として人を責むるに任せば、他日縱ひ歎恨す可き無きも、今日亦た浮薄子なり。
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尚書・秦誓人を責むる斯れ難きこと無し、惟れ責めを受けて流るるが如くならしむる、是れ惟れ艱きかな。
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孟子・盡心章句下貉稽(ハク・ケイ)曰く、「稽大いに口に理あらず。」孟子曰く、「傷むこと無かれ。士は茲の多口に憎まる。詩に云う、『憂心悄悄たり、羣小に慍らる』とは、孔子なり。『肆(ついに)に厥に慍りを殄(たつ)たず、亦た厥の問を隕とさず』とは、文王なり。」
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『墨子』公孟二三子、子墨子に復して曰く、「告子曰く、『義を言いて行い甚だ惡し』と。請う、之を棄てん」と。子墨子曰く、「不可なり。我が言を稱して以て我が行いを毁るは、亡きに愈れり。人、此に有り、『翟は甚だ不仁なり、天を尊び、鬼に事え、人を愛して、甚だ不仁なり』と。猶お亡きに愈るなり。今、告子は言談甚だ辯にして、仁義を言いて吾を毁らず。告子は猶お亡きに愈るなり」と。
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『驢鞍橋』卷上夜話の次で去る者、何某殿は大名に似合はぬ欲深き人なりと云ふ。師聞て曰く、其方は我耻を云ひありく人哉。人を欲深い抔と云ふは、必ず人に用有る者の云ふ事也。我は終に今迄人を欲深しと思ひたる事なし。只世の中には我独り欲深き者と思ふ也。又彼者何某は大国の執権に似合はぬ無さばきなる人なりと云ふ。師曰、扨も非を知らぬ人哉。其方に大国をさばかせたらば、あの百分が一も成るべからす。我々の百石二百石の中さへ道らしくさばき得ぬ人々か、他の上計りを云はるゝは疎なる事也。只我を知らぬ物也。我は毎物扨ても成るまい事哉と思はるゝ也。然る間終に人を悪いと思ひたる事なし。只世の中には我独り悪き者と計り思はるゝ也。
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