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翁問答 / 下卷之末

その子細は天神地祇は萬物の父母なれば、太虛の皇上帝は、人倫の太祖にてまします、此神理にて觀ば聖人も賢人も釋迦も達磨も儒者も我も人も世界のうちのあるとあらゆるほどの人の形あるものは、皆皇上帝、天神、地祇の子孫なり、さてまた儒道はすなはち皇上帝、天神、地祇の神道なれば人間の形有て儒道をそしりそむくは、其先祖父母の道をそしりて其命をそむくなり、まへにも論ずる如く、我人の大始祖の皇上帝大父母の天神地祇の命をおそれうやまひ、其神道を欽崇して受用するを孝行と名づけ、又至德要道と名づけまた儒道と名く、これを敎ふるを儒敎と云、これを能く學で心に守り身に行ふを儒者と云なり、

新字:その子細は天神地祇は万物の父母なれば、太虚の皇上帝は、人倫の太祖にてまします、此神理にて観ば聖人も賢人も釈迦も達磨も儒者も我も人も世界のうちのあるとあらゆるほどの人の形あるものは、皆皇上帝、天神、地祇の子孫なり、さてまた儒道はすなはち皇上帝、天神、地祇の神道なれば人間の形有て儒道をそしりそむくは、其先祖父母の道をそしりて其命をそむくなり、まへにも論ずる如く、我人の大始祖の皇上帝大父母の天神地祇の命をおそれうやまひ、其神道を欽崇して受用するを孝行と名づけ、又至徳要道と名づけまた儒道と名く、これを教ふるを儒教と云、これを能く学で心に守り身に行ふを儒者と云なり、

書き下し

その子細は天神地祇は万物の父母なれば、太虚の皇上帝は、人倫の太祖にてまします、此神理にて観ば聖人も賢人も釈迦も達磨も儒者も我も人も世界のうちのあるとあらゆるほどの人の形あるものは、皆皇上帝、天神、地祇の子孫なり、さてまた儒道はすなはち皇上帝、天神、地祇の神道なれば人間の形有て儒道をそしりそむくは、其先祖父母の道をそしりて其命をそむくなり、まへにも論ずる如く、我人の大始祖の皇上帝大父母の天神地祇の命をおそれうやまひ、其神道を欽崇して受用するを孝行と名づけ、又至徳要道と名づけまた儒道と名く、これを教ふるを儒教と云、これを能く学で心に守り身に行ふを儒者と云なり、

現代語訳

そのわけは、天神地祇は万物の父母であるから、太虚の皇上帝は人倫の太祖でいらっしゃる。この神理で観れば、聖人も賢人も釈迦も達磨も儒者も、自分も他人も、世界のうちのありとあらゆる人の形あるものは、みな皇上帝・天神・地祇の子孫である。さてまた儒道はすなわち皇上帝・天神・地祇の神道であるから、人間の形をもちながら儒道をそしり背くのは、その先祖父母の道をそしってその命に背くことである。前にも論じたように、我々の大始祖である皇上帝、大父母である天神地祇の命を畏れ敬い、その神道を欽崇して受用することを孝行と名づけ、また至徳要道と名づけ、また儒道と名づける。これを教えることを儒教といい、これをよく学んで心に守り身に行う者を儒者というのである。

解説

この一節は『翁問答』の思想の核心をよく示している。藤樹は天神地祇を万物の父母、太虚の皇上帝を人類の太祖と見て、あらゆる人をその子孫とする。そのうえで、この大いなる親の道を畏れ敬い受け用いることを孝行と呼び、それが至徳要道であり儒道だと言い切る。孝を親子の関係にとどめず、天地と人を貫く根本原理にまで押し広げたところに藤樹の特色がある。儒者とは書物に通じた人ではなく、この道を心に守り身に行う人だという定義も明快である。肩書や知識より日々の実践で自分を定義する姿勢として読める。

この章句が説くこと

孝儒道実践至徳要道皇上帝天神地祇

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