都鄙問答 / 卷之一・武士ノ道ヲ問ノ段
曰、我學問ナケレバ、六ヶ鋪コトヲ問フニハ非ズ、只心得ヤスキヤウニ語ラルベシ、我一年參宮致シ、御師ヘ太神宮ノ御敎ヲ示シ玉ヘト云ケレバ、此ノ神ノ御敎ハ、只正直ヲ以善トス、親ヘノ孝、君ヘノ忠、直サマニシテ家業ヲ情ニ入レ、心ニ掛ルコトナク、其上ニ罪咎アラバ、其罪咎ハ某ガ受ント云ハレケリ、扠心易御敎哉ト思ヒ、今少シ六ヶ鋪敎モアラバ、示シ玉ヘト云ケレバ、御師ノ云、此ノコト、心易勤リナバ、重テ告ント云レケリ、心易思勤見レドモ、先正直ガ勤ラズ、孝ト忠トハ猶往ズ、其上家業ヲ情ニ入レ、心ニ掛ラヌ樣ニ勤ルコト、此身ノ一生ニテハ、勤ルベキトハ思ハレズ、思ヘバ思フホド、高大ナルコトカナト、感心致シ侍ルナリ、只加樣ニ心易告ラレヨト云、
新字:曰、我学問ナケレバ、六ヶ鋪コトヲ問フニハ非ズ、只心得ヤスキヤウニ語ラルベシ、我一年参宮致シ、御師ヘ太神宮ノ御教ヲ示シ玉ヘト云ケレバ、此ノ神ノ御教ハ、只正直ヲ以善トス、親ヘノ孝、君ヘノ忠、直サマニシテ家業ヲ情ニ入レ、心ニ掛ルコトナク、其上ニ罪咎アラバ、其罪咎ハ某ガ受ント云ハレケリ、扠心易御教哉ト思ヒ、今少シ六ヶ鋪教モアラバ、示シ玉ヘト云ケレバ、御師ノ云、此ノコト、心易勤リナバ、重テ告ント云レケリ、心易思勤見レドモ、先正直ガ勤ラズ、孝ト忠トハ猶往ズ、其上家業ヲ情ニ入レ、心ニ掛ラヌ様ニ勤ルコト、此身ノ一生ニテハ、勤ルベキトハ思ハレズ、思ヘバ思フホド、高大ナルコトカナト、感心致シ侍ルナリ、只加様ニ心易告ラレヨト云、
書き下し
曰く、我学問なければ、六ヶ敷きことを問ふには非ず。只心得やすきやうに語らるべし。我一年参宮致し、御師へ太神宮の御教を示し玉へと云ひければ、此の神の御教は、只正直を以て善とす。親への孝、君への忠、直さまにして家業を情に入れ、心に掛かることなく、其の上に罪咎あらば、其の罪咎は某が受けんと云はれけり。扨て心易き御教かなと思ひ、今少し六ヶ敷き教もあらば、示し玉へと云ひければ、御師の云ふ、此のこと、心易く勤まりなば、重ねて告げんと云はれけり。心易く思ひ勤め見れども、先づ正直が勤まらず、孝と忠とは猶往かず、其の上家業を情に入れ、心に掛からぬ様に勤むること、此の身の一生にては、勤まるべきとは思はれず。思へば思ふほど、高大なることかなと、感心致し侍るなり。只加様に心易く告げられよと云ふ。
現代語訳
問う人は言いました。「私は学問がないので、難しいことを尋ねているのではありません。ただ分かりやすく話してください。私はある年伊勢参りをして、御師に大神宮の教えを示してくださいと頼みました。すると御師は『この神の教えは、ただ正直をもって善とする。親への孝、主君への忠をまっすぐに行い、家業に精を出し、心に引っかかることがないように。そのうえでなお罪咎があるなら、その罪咎は私が引き受けよう』と言われました。なんとたやすい教えだと思い、もう少し難しい教えがあれば示してくださいと言うと、御師は『これがたやすく勤まるようになったら、重ねて教えよう』と言われました。たやすいと思って勤めてみましたが、まず正直が勤まらない。孝と忠はなおさらです。そのうえ家業に精を出して心に引っかかることがないよう勤めることなど、この一生で勤まるとは思えません。思えば思うほど高く大きな教えだと感じ入っています。どうかこのように分かりやすく教えてください。」
解説
この章句が説くこと
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