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翁問答 / 下卷之末

さてまた大唐も戰國の後は氣運否塞によつて聖人大賢出たまはすとこやみのよとまよひたる時節に、天竺の狂者釋迦の法始て大唐に入てひろまりたり、聖人の日の光午の時と輝時節ならば、中々ひろまるまじ、その證據は許由、曾哲にて考知べし、さてまた日本より大唐へ通路初りたる時分、大唐に佛法ひろまりたる最中なれば、うけきたりき、日本にも流布したり、元來釋迦、達磨の法を立めされたる心根は衆生のまよひてあさましきていを憐みかなしびて、色々さまざまの寓言を立、勸善懲惡のためなれば、一段殊勝なれども、その德狂者なる上に、天竺戎の風俗を元として立たる敎の法なるによつて、逸狂偏僻なることばかりなり、

新字:さてまた大唐も戦国の後は気運否塞によつて聖人大賢出たまはすとこやみのよとまよひたる時節に、天竺の狂者釈迦の法始て大唐に入てひろまりたり、聖人の日の光午の時と輝時節ならば、中々ひろまるまじ、その証拠は許由、曽哲にて考知べし、さてまた日本より大唐へ通路初りたる時分、大唐に仏法ひろまりたる最中なれば、うけきたりき、日本にも流布したり、元来釈迦、達磨の法を立めされたる心根は衆生のまよひてあさましきていを憐みかなしびて、色々さまざまの寓言を立、勧善懲悪のためなれば、一段殊勝なれども、その徳狂者なる上に、天竺戎の風俗を元として立たる教の法なるによつて、逸狂偏僻なることばかりなり、

書き下し

さてまた大唐も戦国の後は気運否塞によつて聖人大賢出たまはすとこやみのよとまよひたる時節に、天竺の狂者釈迦の法始て大唐に入てひろまりたり、聖人の日の光午の時と輝時節ならば、中々ひろまるまじ、その証拠は許由、曽哲にて考知べし、さてまた日本より大唐へ通路初りたる時分、大唐に仏法ひろまりたる最中なれば、うけきたりき、日本にも流布したり、元来釈迦、達磨の法を立めされたる心根は衆生のまよひてあさましきていを憐みかなしびて、色々さまざまの寓言を立、勧善懲悪のためなれば、一段殊勝なれども、その徳狂者なる上に、天竺戎の風俗を元として立たる教の法なるによつて、逸狂偏僻なることばかりなり、

現代語訳

(師は続けた。)「さてまた大唐も、戦国の後は気運がふさがって聖人や大賢が出られず、常闇の世と迷っていた時節に、天竺の狂者釈迦の法が初めて大唐に入って広まった。聖人の日の光が真昼に輝く時節であれば、なかなか広まらなかったであろう。その証拠は許由・曾皙によって考え知るべきである。さてまた日本から大唐へ通路が始まった時分は、大唐に仏法が広まっている最中であったから、それを受けて来て日本にも流布した。もともと釈迦・達磨が法を立てられた心根は、衆生が迷ってあさましい有様を憐れみ悲しんで、いろいろさまざまの寓言を立てたもので、勧善懲悪のためであるから、ひときわ殊勝である。けれどもその徳が狂者であるうえに、天竺の戎の風俗を元として立てた教えの法であるので、奔放で偏ったことばかりである。」

解説

仏教が中国に入ったのは聖人の出ない時代であり、日本は中国で仏教が盛んな時期に交通が始まったので、それを受け入れたと藤樹は説明する。注目すべきは、藤樹が釈迦や達磨の動機そのものは否定していない点である。迷う人々を哀れみ、善を勧め悪を懲らすために教えを立てた心根は殊勝だと認める。そのうえで、教えの形が狂者の偏りと異国の風俗に基づくため、中庸を外れると批判する。相手の善意を認めつつ方法の偏りを指摘するという、批判の作法としても読める一節である。

この章句が説くこと

仏教勧善懲悪狂者中庸伝来

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