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翁問答 / 下卷之本

始に文王武王成王をあげて位のたつとき事をのたまふは凡夫のをごりて謙德をうしなふは其位貴き故也、しかる故に位の至極たつとき事をあげて、をごる可き所をあらはしたまふ、斯程たぐひなきたつとき位にても謙德いよいよ深くおごる事すこしもましまさねば、ましてこれより下なる位におるものはいふにおよばずと、いましめたまふ意ふくめり、さて一沐三握髪、一飯三吐哺、此二句は假說の言葉とて、かりにたとへ設くる說なり、謙德は甚しく至極しておごりの心毛頭なきところをあきらめん爲なり、眞實にいつも一沐に三たび髪をにぎり、御膳をあがりたもふごとに哺を吐きたまふにはあらず、

新字:始に文王武王成王をあげて位のたつとき事をのたまふは凡夫のをごりて謙徳をうしなふは其位貴き故也、しかる故に位の至極たつとき事をあげて、をごる可き所をあらはしたまふ、斯程たぐひなきたつとき位にても謙徳いよいよ深くおごる事すこしもましまさねば、ましてこれより下なる位におるものはいふにおよばずと、いましめたまふ意ふくめり、さて一沐三握髪、一飯三吐哺、此二句は仮説の言葉とて、かりにたとへ設くる説なり、謙徳は甚しく至極しておごりの心毛頭なきところをあきらめん為なり、真実にいつも一沐に三たび髪をにぎり、御膳をあがりたもふごとに哺を吐きたまふにはあらず、

書き下し

始に文王武王成王をあげて位のたつとき事をのたまふは凡夫のをごりて謙徳をうしなふは其位貴き故也、しかる故に位の至極たつとき事をあげて、をごる可き所をあらはしたまふ、斯程たぐひなきたつとき位にても謙徳いよいよ深くおごる事すこしもましまさねば、ましてこれより下なる位におるものはいふにおよばずと、いましめたまふ意ふくめり、さて一沐三握髪、一飯三吐哺、此二句は仮説の言葉とて、かりにたとへ設くる説なり、謙徳は甚しく至極しておごりの心毛頭なきところをあきらめん為なり、真実にいつも一沐に三たび髪をにぎり、御膳をあがりたもふごとに哺を吐きたまふにはあらず、

現代語訳

(師は続けた。)「初めに文王・武王・成王を挙げて位の尊いことを述べられたのは、凡夫が驕って謙徳を失うのはその位が貴いからである。それゆえ位がこの上なく尊いことを挙げて、驕ってよさそうな所をあらわされた。これほど類のない尊い位でも謙徳がいよいよ深く、驕ることが少しもなかったのだから、まして、これより下の位にいる者は言うまでもないと戒められる意味を含んでいる。さて『一沐三握髪、一飯三吐哺』の二句は仮説の言葉といって、仮にたとえて設けた言い方である。謙徳がはなはだしく至極して、驕りの心が毛頭ないところを明らかにするためである。本当にいつも一度髪を洗うたびに三度髪を握り、食事のたびに口の中のものを吐かれたわけではない。」

解説

藤樹は周公の言葉の読み方を丁寧に説く。まず、最上の位を並べたのは、驕りが位の高さから生まれることを示し、その頂点ですら謙虚であったのだから下の者はなおさらだと戒めるためだという。次に「三たび髪を握る」は誇張を含む仮のたとえであり、文字どおりの行動規範ではないと断る。聖人の言葉を字面にとらわれず、伝えたい心をつかむという読み方は、藤樹の学問の大事な姿勢である。社訓や先人の言葉も、形式の模倣でなく趣旨を自分の行いに移すことが肝心だと気づかせる。

この章句が説くこと

謙徳驕り周公旦心たとえ

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