翁問答 / 下卷之本
又周公旦はその御子伯禽魯國の主となりて、はじめて國入したまふ時、周公旦戒伯禽曰、我文王之子武王之弟、成王之叔父、我於天下亦不賤矣、然我一沐三握髪、一飯三吐哺、起以待士猶恐失天下之賢人子之魯愼無以國驕人この聖戒の心は我親は文王なり、我兄は武王なり、當今の天子はわが甥なり、我位は攝政家宰なり、天下に我をこすべきものなく類すくなき尊位なり、しかれども一たび髪を洗ふうちには、三たびあらひさして髪を握りて目見えにきたる諸士をあいしらひ、一たび飯を食するうちに、三度口にくゝみたる食物をはきいだして、諸士をあいしらひぬれども、なほ天下の諸さふらいにおごりたる無禮のあいしらひありて、賢人のうらみあらん事をおそれつゝしむばかりなり、汝魯國へゆきて國を鼻にあてゝおごり、無禮にして人をあなどりかろしめる事なかれ、我ごとく愼むべしと敎へいましめ給ふなり、
新字:又周公旦はその御子伯禽魯国の主となりて、はじめて国入したまふ時、周公旦戒伯禽曰、我文王之子武王之弟、成王之叔父、我於天下亦不賤矣、然我一沐三握髪、一飯三吐哺、起以待士猶恐失天下之賢人子之魯慎無以国驕人この聖戒の心は我親は文王なり、我兄は武王なり、当今の天子はわが甥なり、我位は摂政家宰なり、天下に我をこすべきものなく類すくなき尊位なり、しかれども一たび髪を洗ふうちには、三たびあらひさして髪を握りて目見えにきたる諸士をあいしらひ、一たび飯を食するうちに、三度口にくゝみたる食物をはきいだして、諸士をあいしらひぬれども、なほ天下の諸さふらいにおごりたる無礼のあいしらひありて、賢人のうらみあらん事をおそれつゝしむばかりなり、汝魯国へゆきて国を鼻にあてゝおごり、無礼にして人をあなどりかろしめる事なかれ、我ごとく慎むべしと教へいましめ給ふなり、
書き下し
又周公旦はその御子伯禽魯国の主となりて、はじめて国入したまふ時、周公旦伯禽を戒めて曰く、我は文王の子、武王の弟、成王の叔父なり、我天下に於いて亦賤しからず、然れども我一沐に三たび髪を握り、一飯に三たび哺を吐き、起ちて以て士を待つ、猶ほ天下の賢人を失はんことを恐る、子魯に之かば慎んで国を以て人に驕ること無かれ、この聖戒の心は我親は文王なり、我兄は武王なり、当今の天子はわが甥なり、我位は摂政家宰なり、天下に我をこすべきものなく類すくなき尊位なり、しかれども一たび髪を洗ふうちには、三たびあらひさして髪を握りて目見えにきたる諸士をあいしらひ、一たび飯を食するうちに、三度口にくゝみたる食物をはきいだして、諸士をあいしらひぬれども、なほ天下の諸さふらいにおごりたる無礼のあいしらひありて、賢人のうらみあらん事をおそれつゝしむばかりなり、汝魯国へゆきて国を鼻にあてゝおごり、無礼にして人をあなどりかろしめる事なかれ、我ごとく慎むべしと教へいましめ給ふなり、
現代語訳
(師は続けた。)「また周公旦は、その御子の伯禽が魯国の主となって初めて国入りされるとき、伯禽を戒めて言った。『私は文王の子、武王の弟、成王の叔父である。私は天下においても卑しい身ではない。それでも私は一度髪を洗う間に三度髪を握って中断し、一度食事をする間に三度口の中のものを吐き出して、起って士を迎えた。それでもなお天下の賢人を失うことを恐れている。おまえは魯に行ったら慎んで、国を持つことで人に驕ってはならない』。この聖なる戒めの心はこうである。わが親は文王、わが兄は武王、今の天子はわが甥、わが位は摂政・家宰であり、天下に自分を越える者はなく、類の少ない尊い位である。それでも一度髪を洗う間に三度洗いさして髪を握り、目通りに来た諸士に応対し、一度食事をする間に三度口に含んだ食物を吐き出して諸士に応対したけれども、なお天下の諸侍に驕った無礼な応対があって、賢人の恨みを買いはしないかと恐れ慎むばかりである。おまえは魯国へ行って国を鼻にかけて驕り、無礼に人を侮り軽んじてはならない。私のように慎めと教え戒められたのである。」
解説
この章句が説くこと
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