翁問答 / 下卷之本
相手向ひの切合は運のつよきほうかつものなり、大軍の合戰は徳は才にかち才は力にかち力は運にかつなり、才德牛角なれば運のつよき方かつべし、合戰のちからは才徳勢力のつよきが運にかちぬれども、后途のつまりの國をとる事は、運のつよき方へかたつくものなり、むかし大唐に蜀の國と魏の國とてんかを爭ふ事あり、蜀の國は后漢のすへにて、運命はよはかりしかども、諸葛孔明と云武德かね備はりたる名大將あり、魏の國は運命はつよけれど孔明に楯つくほどなる大將なし、しかるによつて度々の合戰皆蜀の國勝利を得て、天下に威勢をふるふと雖、元來蜀の運よはき故孔明の天年かずつきて、魏の大將仲達と對陣のうちに、孔明病死めされたり、孔明の死後には仲達にたてつく程なる大將蜀の國になく、そのうへ魏の國の運つよき故、終に蜀をほろぼして魏の天下となりたり、
新字:相手向ひの切合は運のつよきほうかつものなり、大軍の合戦は徳は才にかち才は力にかち力は運にかつなり、才徳牛角なれば運のつよき方かつべし、合戦のちからは才徳勢力のつよきが運にかちぬれども、后途のつまりの国をとる事は、運のつよき方へかたつくものなり、むかし大唐に蜀の国と魏の国とてんかを争ふ事あり、蜀の国は后漢のすへにて、運命はよはかりしかども、諸葛孔明と云武徳かね備はりたる名大将あり、魏の国は運命はつよけれど孔明に楯つくほどなる大将なし、しかるによつて度々の合戦皆蜀の国勝利を得て、天下に威勢をふるふと雖、元来蜀の運よはき故孔明の天年かずつきて、魏の大将仲達と対陣のうちに、孔明病死めされたり、孔明の死後には仲達にたてつく程なる大将蜀の国になく、そのうへ魏の国の運つよき故、終に蜀をほろぼして魏の天下となりたり、
書き下し
相手向ひの切合は運のつよきほうかつものなり、大軍の合戦は徳は才にかち才は力にかち力は運にかつなり、才徳牛角なれば運のつよき方かつべし、合戦のちからは才徳勢力のつよきが運にかちぬれども、后途のつまりの国をとる事は、運のつよき方へかたつくものなり、むかし大唐に蜀の国と魏の国とてんかを争ふ事あり、蜀の国は后漢のすへにて、運命はよはかりしかども、諸葛孔明と云武徳かね備はりたる名大将あり、魏の国は運命はつよけれど孔明に楯つくほどなる大将なし、しかるによつて度々の合戦皆蜀の国勝利を得て、天下に威勢をふるふと雖、元来蜀の運よはき故孔明の天年かずつきて、魏の大将仲達と対陣のうちに、孔明病死めされたり、孔明の死後には仲達にたてつく程なる大将蜀の国になく、そのうへ魏の国の運つよき故、終に蜀をほろぼして魏の天下となりたり、
現代語訳
一対一の斬り合いは運の強いほうが勝つものである。大軍の合戦では、徳は才に勝ち、才は力に勝ち、力は運に勝つ。才と徳が互角であれば運の強いほうが勝つであろう。合戦の力では才・徳・勢力の強いほうが運に勝つけれども、最後の詰めの国を取ることは、運の強いほうへ片付くものである。昔大唐で、蜀の国と魏の国とが天下を争ったことがある。蜀の国は後漢の末流で、運命は弱かったけれども、諸葛孔明という武徳を兼ね備えた名大将がいた。魏の国は運命は強かったけれども、孔明に楯突くほどの大将はいなかった。そのため度々の合戦はみな蜀の国が勝利を得て、天下に威勢をふるったけれども、もとより蜀の運が弱いため、孔明の天寿が尽きて、魏の大将仲達と対陣するうちに孔明は病死なさった。孔明の死後には、仲達に楯突くほどの大将は蜀の国になく、そのうえ魏の国の運が強いため、ついに蜀を滅ぼして魏の天下となった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孟子・梁惠王章句下魯の平公將に出でんとす。嬖人臧倉なる者請うて曰く、「他日、君出づれば、則ち必ず有司に之く所を命ず。今、輿に乘り已に駕す。有司未だ之く所を知らず。敢て請う。」公曰く、「將に孟子を見んとす。」曰く、「何ぞや。君の為す所、身を輕んじて以て匹夫に先だつとは。以て賢と為すか。禮義は賢者由り出づ。而るに孟子の後喪は前喪に踰えたり。君、見る無かれ。」公曰く、「諾。」樂正子、入り見えて曰く、「君、奚為れぞ孟軻を見ざるや。」曰く、「或ひと寡人に告げて曰く、『孟子の後喪は前喪を踰えたり。』是を以て往きて見ざるなり。」曰く、「何ぞや。君の所謂踰ゆとは。前には士を以てし、後には大夫を以てし、前には三鼎を以てし、後には五鼎を以てしたるか。」曰く、「否。棺槨衣衾の美を謂うなり。」曰く、「所謂踰ゆるには非ざるなり。貧富同じからざればなり。」樂正子、孟子に見えて曰く、「克、君に告ぐ。君、來たり見んと為す。嬖人に臧倉なる者有り、君を沮む。君是を以て來たることを果たさざるなり。」曰く、「行くも之を使しむる或り、止まるも之を尼むる或り。行止は人の能くする所に非ざるなり。吾の魯侯に遇わざるは、天なり。臧氏の子、焉ぞ能く予をして遇わしめざらんや。」
-
孔子家語・五儀解哀公孔子に問いて曰く、「夫れ国家の存亡禍福は、信に天命有りて、唯だ人のみに非ざるか。」孔子対えて曰く、「存亡禍福は、皆己のみ。天災地妖は、加うる能わざるなり。」公曰く、「善いかな。吾子の言、豈に其の事有るか。」孔子曰く、「昔者殷王帝辛の世、雀の大鳥を城隅に生む有り。之を占いて曰く、『凡そ小を以て大を生ずれば、則ち国家必ず王として名必ず昌んならん』と。是に於て帝辛雀の徳を介として、国政を修めず、亢暴極まり無く、朝臣救うこと莫く、外寇乃ち至りて、殷国以て亡ぶ。此れ即ち己を以て天時に逆らい、福を詭りて反りて禍と為す者なり。又其の先世殷王太戊の時、道缺け法圮れ、以て夭櫱・桑穀朝に致し、七日にして大いに拱す。之を占う者曰く、『桑穀は野木にして朝に合生せず、意者国亡びんか』と。太戊恐駭し、身を側めて行を修め、先王の政を思い、養民の道を明らかにす。三年の後、遠方義を慕いて重訳して至る者、十有六国。此れ即ち己を以て天時に逆らい、禍を得て福と為す者なり。故に天災地妖は、人主を儆む所以の者なり。寤夢征怪は、人臣を儆む所以の者なり。災妖は善政に勝たず、寤夢は善行に勝たず。能く此を知る者は、至治の極なり。唯だ明王のみ此に達す。」公曰く、「寡人鄙固此くの如きに、亦た君子の教を聞くを得ざりしなり。」
-
史記 西南夷列伝楚の先豈に天禄有らんや。周に在りては文王の師為り、楚に封ぜらる。周の衰ふるに及び、地は五千里と称す。秦諸侯を滅ぼすも、唯だ楚の苗裔のみ尚ほ滇王有り。漢西南夷を誅し、国多く滅ぶ、唯だ滇のみ復た寵王と為る。然れども南夷の端は、枸醤を番禺に見、大夏の杖・
-
論語・堯曰篇堯曰く、「咨、爾舜、天の暦数爾の躬に在り。允に其の中を執れ。四海困窮せば、天禄永く終わらん。」舜も亦た以て禹に命ず。曰く、「予小子履、敢えて玄牡を用い、敢えて昭らかに皇皇たる后帝に告ぐ。罪有るは敢えて赦さず。帝の臣は蔽わず、簡ぶこと帝の心に在り。朕が躬罪有らば、万方を以てすること無かれ。万方罪有らば、罪は朕が躬に在り。」「周に大賚有り、善人是れ富む。」「周親有りと雖も、仁人に如かず。百姓過ち有らば、予一人に在り。」権量を謹み、法度を審らかにし、廃官を脩むれば、四方の政行われん。滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民心を帰せん。重んずる所は、民・食・喪・祭。寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち民任じ、敏なれば則ち功有り、公なれば則ち説ぶ。
-
尚書・康誥惟れ命は常には于いてせず。
-
『呻吟語』内篇・修身・我主張して天に由らず富貴福澤を得んと要するは、天主張して、我に由るを得ず。賢人君子と做らんと要するは、我主張して、天に由るを得ず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る