翁問答 / 下卷之本
體充曰、運命だに强く候へば、いづれの敵にもかち申候はんか。師の曰、合戰の勝負に、德のかち才のかち力のかち運のかちとて、四いろの差別あり、德と云は文武合一の明德のことなり、才とは武略かしこく人數を自由自在にとりまはし、敵の情をよくさとり、九天の上にうごき九地の下にかくれて、百戰百勝の功をたつる才能の事なり、力と云は人數の勢力の事なり、運といふは主將の生れつきたる運命の事なり、
新字:体充曰、運命だに強く候へば、いづれの敵にもかち申候はんか。師の曰、合戦の勝負に、徳のかち才のかち力のかち運のかちとて、四いろの差別あり、徳と云は文武合一の明徳のことなり、才とは武略かしこく人数を自由自在にとりまはし、敵の情をよくさとり、九天の上にうごき九地の下にかくれて、百戦百勝の功をたつる才能の事なり、力と云は人数の勢力の事なり、運といふは主将の生れつきたる運命の事なり、
書き下し
体充曰、運命だに強く候へば、いづれの敵にもかち申候はんか。師の曰、合戦の勝負に、徳のかち才のかち力のかち運のかちとて、四いろの差別あり、徳と云は文武合一の明徳のことなり、才とは武略かしこく人数を自由自在にとりまはし、敵の情をよくさとり、九天の上にうごき九地の下にかくれて、百戦百勝の功をたつる才能の事なり、力と云は人数の勢力の事なり、運といふは主将の生れつきたる運命の事なり、
現代語訳
體充が言う。「運命さえ強ければ、どの敵にも勝てるのだろうか」。師が答える。「合戦の勝負には、徳の勝ち、才の勝ち、力の勝ち、運の勝ちといって、四色の区別がある。徳というのは文武合一の明徳のことである。才とは武略が賢く、人数を自由自在に動かし、敵の情をよく悟り、九天の上に動き九地の下に隠れて、百戦百勝の功を立てる才能のことである。力というのは人数の勢力のことである。運というのは主将の生まれつきの運命のことである」。
解説
この章句が説くこと
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『翁問答』下卷之本相手向ひの切合は運のつよきほうかつものなり、大軍の合戦は徳は才にかち才は力にかち力は運にかつなり、才徳牛角なれば運のつよき方かつべし、合戦のちからは才徳勢力のつよきが運にかちぬれども、后途のつまりの国をとる事は、運のつよき方へかたつくものなり、むかし大唐に蜀の国と魏の国とてんかを争ふ事あり、蜀の国は后漢のすへにて、運命はよはかりしかども、諸葛孔明と云武徳かね備はりたる名大将あり、魏の国は運命はつよけれど孔明に楯つくほどなる大将なし、しかるによつて度々の合戦皆蜀の国勝利を得て、天下に威勢をふるふと雖、元来蜀の運よはき故孔明の天年かずつきて、魏の大将仲達と対陣のうちに、孔明病死めされたり、孔明の死後には仲達にたてつく程なる大将蜀の国になく、そのうへ魏の国の運つよき故、終に蜀をほろぼして魏の天下となりたり、
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『翁問答』下卷之本運命の力つよければ、わけもなき暗将にても威勢をふるふは、たとへば矢はかれたる竹にて飛ぶものにてはなけれども、射手の力にて三町も四町もとび、玉は鉛にて人を殺すものにてはなけれども、火と薬との力にて楯をも介をもうちぬきて人を殺すが如し、また敵のさせる高名は、碁象棋の勝負にて考へ知るべし、下手にあひてはかちぎは一段見事なれども、上手にあひては見苦しくまくるがごとし、大かた合戦の勝負かくの如し、
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『翁問答』下卷之本又項羽高祖の合戦の事普く人の知たる事なり、項羽高祖の運命牛角なり、武は高祖おとりたまへども、高祖の大将韓信と云人項羽と牛角なる故、武も牛角なり、力は始の間項羽の方つよし、然る故にはじめは度々の合戦項羽の勝なり、しかれども項羽は慓悍猾賊にして徳なく、高祖は寛仁大度の徳ある上に、張良と云ふ武徳かね備はりたる名将あるゆへに、項羽のちから次第におとろへ終に項羽垓下に敗軍して烏江に自害し、遂に高祖の天下となりたり、此の如くのためしを以て、徳才勢力運命の勝負差別をよくよく鍛錬工夫ある可し。体充曰、才徳勢力運命みな牛角に候はば勝負いかゞに候はんや。師の曰、それは相碁の勝負の如し、此の如く成合戦には、天時地利の勝負あり、嘿識心通すべし。
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『翁問答』上卷之末是を人衆ければ則ち天に勝ち、天定まれば亦た人に勝つといふなり、そのうへ五福のうちの攸好徳だにうけぬればのこりの四つは其うちにそなはれり、明徳すでにあきらかなれば、至誠無息長在不滅なり、これ無上のながいきなり、大富貴を得て小富貴をわすれぬれば、これまた無上の富貴なり、一朝のうれひ心のくるしびとならざれば、心上の康寧は事上の康寧にまさりたり、考終命の事は徳あるうへは云にをよばず、是にて福善の極意を得心すべし、
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『翁問答』上卷之末体充曰、儒門の心学をきはめずして、軍法に達し軍法をたてゝ、その名たかき大将、倭漢ともに古来多く候へば、心学のみがきなくても、軍法のまなびはなり申べく候、しかるにまづ儒門の心学をきはめてのちに軍法をまなびたるがよしと仰せられ候は不審に存候。師の曰、よきうたがひにて候、大将の才を逞じく生れたる人は、心学のみがきなくても、軍法に達し軍功をば立るといへども、その徳なきゆへに才のたくまじきに迷ひ、必ず人を殺す事を好み、不義無道のふるまひあれば、万民その毒にあたりなげき悲むによつて、終には天罰をかうぶり、其身もほろび国も必ず絶滅するものなり、その証拠はもろこしにても我朝にても、其徳なくて才のみ逞しき大将に、其身難なく子孫繁昌したる人まれなり倭漢の史書にて考へ見るべし、
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『翁問答』上卷之末さて諸士を吟味するかなめ三つあり、徳と才能と功となり、三つのうちいづれにても上中下あり、徳は文武合一の明徳なり、才能は天下国家の万事をとりおこなふ文芸武芸の才智芸なり、功は或は天下国家のしをきの功をつみ、或は奉公奔走の功をなし或は天下国家の難をはらひ、或は天下国家の為になる事を始てつくり出し、あるひは大敵をほろぼし武功をたつるなど皆功なり、徳と才と功と三つを吟味の柱とさだめ、上中下のしなによつて、その分際相応の知行をあたへ、官職をさづくるが、古来さぶらいの吟味をする掟にて候、今も才と功とのとりさたは候へども、徳のさたはしる人まれなりとみえたり。
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