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翁問答 / 下卷之本

文字を目に見おぼゆる事はならざれども、聖人の書の本意をよく得心して我心の鏡とするを心にて心を讀むといつて、眞實の讀書なり、心の會得なく只目にて文字を見おぼゆるばかりなるをば、眼にて文字をよむと云て眞實の讀書にあらず、我まなこにて書物を讀むことならざれども聖經賢傳をふかく信仰してよみおぼへたる人に講釋させその本意をよく得心して、我心もち身の行ひの鏡とするは、俗學の書物をよみぬるより一きはまさりたる書物よみなれば、賤の男賤の女も、書物をよまずしてよむにて候、今時はやる俗學は書物をよみてよまぬなり、かやうな極意よくよく體認あるべし。

新字:文字を目に見おぼゆる事はならざれども、聖人の書の本意をよく得心して我心の鏡とするを心にて心を読むといつて、真実の読書なり、心の会得なく只目にて文字を見おぼゆるばかりなるをば、眼にて文字をよむと云て真実の読書にあらず、我まなこにて書物を読むことならざれども聖経賢伝をふかく信仰してよみおぼへたる人に講釈させその本意をよく得心して、我心もち身の行ひの鏡とするは、俗学の書物をよみぬるより一きはまさりたる書物よみなれば、賤の男賤の女も、書物をよまずしてよむにて候、今時はやる俗学は書物をよみてよまぬなり、かやうな極意よくよく体認あるべし。

書き下し

文字を目に見おぼゆる事はならざれども、聖人の書の本意をよく得心して我心の鏡とするを心にて心を読むといつて、真実の読書なり、心の会得なく只目にて文字を見おぼゆるばかりなるをば、眼にて文字をよむと云て真実の読書にあらず、我まなこにて書物を読むことならざれども聖経賢伝をふかく信仰してよみおぼへたる人に講釈させその本意をよく得心して、我心もち身の行ひの鏡とするは、俗学の書物をよみぬるより一きはまさりたる書物よみなれば、賤の男賤の女も、書物をよまずしてよむにて候、今時はやる俗学は書物をよみてよまぬなり、かやうな極意よくよく体認あるべし。

現代語訳

文字を目で見て覚えることはできなくても、聖人の書の本意をよく納得して自分の心の鏡とするのを、心で心を読むといって、本当の読書である。心の会得がなく、ただ目で文字を見て覚えるばかりなのは、眼で文字を読むといって本当の読書ではない。自分の目で書物を読むことができなくても、聖経賢伝を深く信仰して読み覚えた人に講釈させ、その本意をよく納得して自分の心持ちや身の行いの鏡とするのは、俗学の者が書物を読むよりひときわまさった書物読みであるから、身分の低い男女も、書物を読まずして読んでいるのである。今時はやる俗学は、書物を読んでいて読んでいないのである。このような極意をよくよく体認するがよい」。

解説

藤樹は読書を「心にて心を読む」ものと「眼にて文字を読む」ものに分ける。前者は聖人の書の本意を自分の心の鏡とする読み方で、後者は文字を目で追って覚えるだけの読み方である。字が読めなくても、講釈を聞いて本意を心に納め行いに映す人は、書物を読まずして読んでいる。逆に文字に詳しい俗学者は、読んでいて読んでいない。情報があふれる今、多読や速読を誇る前に、一冊の言葉が自分の行動を何か一つでも変えたかを問うことが、藤樹のいう本当の読書に近づく道である。

この章句が説くこと

読書心学問体認俗学本意

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