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翁問答 / 下卷之本

體充問曰、正眞の學問は書物を讀まずしてもなるものなりと承候へば、おほへにくき書物をよみ講釋を聞申ことはむづかしきに、いらぬ事かと存候。師の曰、大むかしの文字なき代には書物なきによつて、只聖人の言行を手本として學問をつとめたり、伏犧易書をつくり給ひ、文字はじまりてのちは、書物を讀みその本意を講習し、わか心のかゞみとして學問をつとむるなり、

新字:体充問曰、正真の学問は書物を読まずしてもなるものなりと承候へば、おほへにくき書物をよみ講釈を聞申ことはむづかしきに、いらぬ事かと存候。師の曰、大むかしの文字なき代には書物なきによつて、只聖人の言行を手本として学問をつとめたり、伏犠易書をつくり給ひ、文字はじまりてのちは、書物を読みその本意を講習し、わか心のかゞみとして学問をつとむるなり、

書き下し

体充問曰、正真の学問は書物を読まずしてもなるものなりと承候へば、おほへにくき書物をよみ講釈を聞申ことはむづかしきに、いらぬ事かと存候。師の曰、大むかしの文字なき代には書物なきによつて、只聖人の言行を手本として学問をつとめたり、伏犠易書をつくり給ひ、文字はじまりてのちは、書物を読みその本意を講習し、わか心のかゞみとして学問をつとむるなり、

現代語訳

體充が問う。「本当の学問は書物を読まなくてもできるものだと聞いたので、覚えにくい書物を読み講釈を聞くのは難しいことでもあり、要らないことかと思うが」。師が答える。「大昔の文字のない時代には書物がなかったので、ただ聖人の言行を手本として学問を勤めた。伏羲が易の書を作り、文字が始まってからは、書物を読んでその本意を講習し、自分の心の鏡として学問を勤めるのである」。

解説

書物を読まなくても学問はできると聞いた體充は、ならば難しい読書は不要ではないかと問う。藤樹はまず歴史をたどり、文字のない時代は聖人の言行そのものが手本であったが、文字ができてからは書物を通して聖人の本意を学び、それを自分の心を映す鏡とするのだと答える。読書の目的は知識の蓄積ではなく、自分の心を照らし直すことにある。忙しい現代人が古典を読む意味もここにある。読むこと自体が目的ではなく、読んだ言葉を鏡として自分の判断や振る舞いを点検することが学問なのである。

この章句が説くこと

学問読書心鏡聖人易

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